伝え方 (PHPより抜粋)

 携帯電話やメール、そしてインターネットによる種々のサービスにより、気持ちや情報を伝えるのに、これほど便利な世の中になると誰が想像したことだろう。

 ただ、それによって人と人との相互理解が進んだかといえば、残念ながらそうではない。いさかいは減るどころか、コミュニケーション不足による事故や事件は、日々増すばかりである。

 その一因は、情報ツールにおける些細な誤解があるからではなかろうか。たとえば、スマートフォンでメールを書き、送信ボタンをクリックすれば、送信者側はその瞬間に伝えたと思い込み、見ていない受信者側をつい避難してしまう。また、単なる言葉の打ち間違いが、相手の心のしこりとなって、あとで大きなトラブルに発展することもある。

 伝える手段が多いのはありがたい。けれども、伝え方には長短があり、手間がかかっても直接話し合ったり、手紙を書いたりすることもやはり重要であろう。

 情けに報いると書いて情報である。伝わればよいのではなく、よく伝えようとする心がけを忘れずにいたい。

3+

自分との対話 (PHPより抜粋)

 私たちの多くは、自分の人格が一つではないことを知っている。たとえば、物事を決める場合、私たちはつい利己的な方向に終始する。
 勝負事ともなれば、勝てば驕り、負ければ意欲を失う面倒な人格の自分もいる。利他の精神などとても覚束ない。
 そんななかでも、自分を客観的に見つめる聡明な自分は、必ずいる。ただ問題は、その聡明な自分が、必要な時、必要な場面で現れてくれるかどうかであろう。もしそれが可能となれば、常に分別のある判断ができるし、道を誤ることはない。
 ところが、聡明な自分こそ心の奥から容易に出てきてはくれない。反省しきりの頃にようやくご登場なのである。
 日常の自分は、世間体や常識に捉われているし、常に感情的といってもよい。心もとないこと甚だしい。
 とはいえ、頼みになる自分でいるには、日頃から心を静め、素直な心で、さまざまな自分との対話を重ねることしかないのではないか。聡明でありたいと願う心が、少しずつ人格を変えるはず。望まない自分ともいつか決別できると信じたい。

5+

この一日 (PHPより抜粋)

 私たちの日々の暮らしは、当たり前の小さな幸福に囲まれている。仕事前に喫する一服のお茶、休み時間に同僚と語り合う時間、そして家族との団欒。
 いや、それ以前に、朝起きて目一杯に伸びをして息を吸える、大きな声で笑える、好きな所へ自由に出かけられることそれ自体、なんて素晴らしいことなのか。
 ところが、それは当り前ではない。小さな幸福がかけがえのないものだと知るのは、きまってそれらが失われる間際で、手放したあとの哀しみは計り知れない。平和と健康はそれほど「有り難い」ものなのである。
 だからこそ、一日一日を大切に生きたい。「死にたい」などと安易に言うまい。
 当たり前の一日を過ごすべく闘っている人があまたいるなか、感謝の心無く、自身も悔いが残る一日を過ごしては、もったいないとは言えないだろうか。
 一片の雲もない美しい朝。いつものように一日が始動する。それは当たり前のようでいて当たり前ではない。
 謙虚な気持ちでこの一日を送りたい。

6+

和を以て (PHPより抜粋)

 戦争、天変地異、疫病の流行。社会を襲う未曽有の危機は、きまって不意に訪れる。そして人々は不安と恐怖から理性を失い、狂奔した行動に走る。
 必需品の買い占めに走ったり、他国民を非難したり、人として見苦しい振舞いをしてしまう。恐ろしいのは移ろいやすい人の心。平時であれば自制心を保つところが、非常時となるとたががゆるみ利己的になる。おのずと下品になっていく。
 国民の品格が問われるのは平時よりもむしろ、こうした苦難の時なのではないだろうか。
 元来、日本人の素晴らしさは和を貴ぶところにある。だからこそ、秩序を守りながら衆知を集め、危機を打開することができる。
 それは数多くの被災地でも、私より公の事を優先し、他人への思いやりを忘れない国民の行動ひとつひとつに、
存分に発揮されていたといえよう。
 和の伝統精神を以て、これまで通り節度を失わず、世界の模範となる国民でありたい。競い合うより、ひとつになって協力し合うべき時代に来ている。
 その魁として日本人は成熟した大人の国民でありたい。

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