リモートの賛否

(ニューウェイブ誌2020年10月号)
 政府が進めているデジタルトランスフォーメーション(DX)は、進め方を間違えると、対面が減り、活力を失う危険性があるとの見方がある。現在急速に普及しているテレワークを例にするとわかりやすい。
ここ数ヶ月試行錯誤で実施したリモートに触れて、ようやくなんとなくわかってきたた点がある。事務処理や情報伝達、知識の習得はリモートでも可能であるが、議論を戦わせて1つの結論を得るとか、難しい交渉の中で、双方ギリギリの着地点を探るとなると、リモートでは難しい。商売の勝ち負けも、そのような難しい場面で決まるものだと思う。又、偶発的に生まれるプラスαのアイデアは、直接会えばこそ生まれるものであろう。
 コロナを克服したら、「非接触」にぶれている軸を早期に「接触型」に適宜戻す必要がある。利点と弱点を正確に把握し、使い分けが必要だ。一時の流行で本社をなくしてしまうなどの極端な行動は危険だと思う。生産性をあげるという目的が主であるならば、行動内容や時間を加味して管理されていた制度から、成果、数字でしか判断のしようがないリモートへの移行について、評価の厳しさが増すことへの言及が後回しになっている感がする。(うがった見方をすれば、数字の出せない社員は不要という結論があっさりと出てしまう危険性がある)
色相の中に補色というものがある。反対色にあたる補色とあえて組みあわせることにより、より引き立つ美色になるという。リモート一色ではなく、絶えず反対色を意識しながらことをすすめるべきだと思う。

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コロナ禍での心の距離

(ニューウェイブ2020年8月号 コラムより)
プロ野球が6月19日から始まり、観客は7月10日から。サッカーJリーグは7月4日から再開し、ディズニーランドは7月1日から、ユニバーサルスタジオは6月8日から開園。娯楽を代表するスポーツ、テーマパークが次々と解放される。又イベントでは国内最大級の展示会主催リードジャパンは東京ビックサイト、幕張メッセでの超大規模展示会について、政府および全国自治体よりの緊急事態宣言の解除を受けて、8月以降予定通り開催される。娯楽関係は慎重に段階を踏んでの再開であるが、ビジネスや夜の解放感は一気に再開の感があり、少し嫌な感じである。
さらにこの原稿を書いている7月8日時点では、東京都での感染者が連日100名を超え、再び自粛に向かう可能性もあり予断が許されない。
ソーシャルディスタンスという新しいコトバが街に溢れ、一定の距離を置く事が望ましい風潮になっている。よく似た言葉にパーソナルスペースというものがあり、15㎝前後の密接距離から5m前後の公共距離まである(そういえば妻とは年々無意識のうちに距離が離れ、気づけば公共距離をキープしている気がするのは私だけだろうか(笑))
物質的な人と人との距離を取らねばならない今だからこそ 様々な形での「心の距離」を近づけていくことが不可欠だと思う。それを埋めるのにパッと思いつくのはITの産物であるSNSの活用。私を含め世の中のおじさん達にとっては、不得意な分野である。

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しあわせの国ブータン

(ニューウェイブ誌2016年11月号コラムより)

今夏の英国のEU離脱や直近のシリア情勢、北朝鮮、中国の動向など、世界の国々のリーダーは、アメリカのトランプ氏が象徴的であるが、自国の利益やナショナリズムに走っている兆候が見受けられる。調和などという言葉は最近ほとんど聞かなくなり、外交という大義名分の陣どり合戦が活発化して、自国が一番という危険な思想が蔓延してきているようで恐ろしい。個人に置き換えても電車の中の風景など見ていると、スマホの占領により他へ働きかける時間が減少し、内側に閉じこもる時間が増えて益々自閉的になっている。

過日上野公園を訪れた折、ブータンの記念事業が開催されていたので入ってみた。「しあわせに生きるためのヒント」「見るだけでしあわせになれるかも」というポスターのコピーにつられたのである。

私が感銘を受けた言葉を一部ご紹介させていただくと、「ゆっくり歩けばロバでもラサまで行ける」「他人のやった行いで悟りは開けない」「人生において永遠に続くものは何もないのです」「しあわせとは自分の持っているものを喜ぶことです」「自分のしあわせは 人の向こうにある」そして子供たちの言葉「皆のために祈るのがうれしい」「親の手伝いが出来てうれしい」

たしかに画像に映るブータンのお年寄り、子供たちの表情が素晴らしい。皆一様ににこやかで微笑んでおりで、かまえるところがなく、すべてを許すというオーラ、余裕がある。

「他者のしあわせを何よりも優先する」これがしあわせの秘訣という。ならば現在の自分が一番、自分だけ自分だけというこのご時世は、、、しあわせとはまるで逆の方へ直走っているのだろうか?

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毎朝の散歩

ニューウェイブ誌2019年10月号
私は東京に単身赴任ということもあり、比較的自由な時間が持て自分自身への投資に充てることが出来る。そのようなこともあり、すっかり朝の散歩がルーティンワークに入ってしまった。すでに5年は続けているだろうか。6時に起床し、部屋でラジオ体操をした後散歩へ。スタートは近所のお地蔵さんへのお参りから始まり、隅田川沿いをストレッチ含め約30分散歩し、朝の新鮮な空気を満喫した後、稲荷神社への参拝でおわる。お参りをさぼると何か悪いことが起こりそうで、気の弱い私は雨の日でも傘をさしてお参りだけは行くようになっている。
 その稲荷神社の手水舎(手を清める場所)で毎日、目にするのは「反省~威張る時には神に捨てられ、欲張る時には金に背かれ、妬むときには友を持ち得ず、怒るときには己を失うのだ」という言葉だ。神様の場所にかかれている言葉は どこか厳かで、書物やテレビ、SNSで見るものより重く感じる。
 コトバは言霊(ことだま)とも言われるが、その使い方ひとつで親友をなくしたり、誤解を招いたりする怖いものでもあるが、反面「ひとつの言葉」で局面が変わったり、救われたりする諸刃の剣のようなものである。政治家や有名人が失敗するのも 普段思っていたことがついコトバに出てしまったり、、、まさに「語るに落ちる」である。
 「明元素」「暗病反」言葉というものがあるが、私は、できるだけ「ありがとう、やってみよう、楽しい、うれしい、おもしろい、おいしい、ついてる…」などの「明元素」言葉を使い、自分の持つパワーが減らないようにしている。よく他人に「楽観的」と誤解される事もままあるが、「つたないレベルでも、やれることは、さぼらずにしっかりと準備し、知恵の少なさを補うため衆知を集め、決断して前に進む」あとは、運を天にまかせ、ひたすら神頼みである。だから毎日の散歩が欠かせない。まあ私なりに日々必死に生きている(つもりである)

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