自分との対話 (PHPより抜粋)

 私たちの多くは、自分の人格が一つではないことを知っている。たとえば、物事を決める場合、私たちはつい利己的な方向に終始する。
 勝負事ともなれば、勝てば驕り、負ければ意欲を失う面倒な人格の自分もいる。利他の精神などとても覚束ない。
 そんななかでも、自分を客観的に見つめる聡明な自分は、必ずいる。ただ問題は、その聡明な自分が、必要な時、必要な場面で現れてくれるかどうかであろう。もしそれが可能となれば、常に分別のある判断ができるし、道を誤ることはない。
 ところが、聡明な自分こそ心の奥から容易に出てきてはくれない。反省しきりの頃にようやくご登場なのである。
 日常の自分は、世間体や常識に捉われているし、常に感情的といってもよい。心もとないこと甚だしい。
 とはいえ、頼みになる自分でいるには、日頃から心を静め、素直な心で、さまざまな自分との対話を重ねることしかないのではないか。聡明でありたいと願う心が、少しずつ人格を変えるはず。望まない自分ともいつか決別できると信じたい。

5+

この一日 (PHPより抜粋)

 私たちの日々の暮らしは、当たり前の小さな幸福に囲まれている。仕事前に喫する一服のお茶、休み時間に同僚と語り合う時間、そして家族との団欒。
 いや、それ以前に、朝起きて目一杯に伸びをして息を吸える、大きな声で笑える、好きな所へ自由に出かけられることそれ自体、なんて素晴らしいことなのか。
 ところが、それは当り前ではない。小さな幸福がかけがえのないものだと知るのは、きまってそれらが失われる間際で、手放したあとの哀しみは計り知れない。平和と健康はそれほど「有り難い」ものなのである。
 だからこそ、一日一日を大切に生きたい。「死にたい」などと安易に言うまい。
 当たり前の一日を過ごすべく闘っている人があまたいるなか、感謝の心無く、自身も悔いが残る一日を過ごしては、もったいないとは言えないだろうか。
 一片の雲もない美しい朝。いつものように一日が始動する。それは当たり前のようでいて当たり前ではない。
 謙虚な気持ちでこの一日を送りたい。

6+

和を以て (PHPより抜粋)

 戦争、天変地異、疫病の流行。社会を襲う未曽有の危機は、きまって不意に訪れる。そして人々は不安と恐怖から理性を失い、狂奔した行動に走る。
 必需品の買い占めに走ったり、他国民を非難したり、人として見苦しい振舞いをしてしまう。恐ろしいのは移ろいやすい人の心。平時であれば自制心を保つところが、非常時となるとたががゆるみ利己的になる。おのずと下品になっていく。
 国民の品格が問われるのは平時よりもむしろ、こうした苦難の時なのではないだろうか。
 元来、日本人の素晴らしさは和を貴ぶところにある。だからこそ、秩序を守りながら衆知を集め、危機を打開することができる。
 それは数多くの被災地でも、私より公の事を優先し、他人への思いやりを忘れない国民の行動ひとつひとつに、
存分に発揮されていたといえよう。
 和の伝統精神を以て、これまで通り節度を失わず、世界の模範となる国民でありたい。競い合うより、ひとつになって協力し合うべき時代に来ている。
 その魁として日本人は成熟した大人の国民でありたい。

6+

【潜在能力を探す旅に疲れる】

私は好奇心が多く、何でも即試してみる事が自慢で、ちやほやされて楽しく生きてきた。それも根元の考え方は 人間の潜在能力は5%と言われ 残りの95%を見つけたいというものである。
ここ10年ほど余裕時間もあり、日本語教師の勉強やサックスやバイオリンなどの楽器演奏、YouTubeなどのSNSとあらゆるものを試してきて続いているものもある。
でも64歳の今 潜在能力を探す旅に少し疲れている自分がいる。

時間はあと30年。10年x3セットを挑戦する時間は十分にあるのだが ひたすら器用貧乏のチンドン屋の道を進んでいる気がする。
北京オリンピックの選手を見て、感動しているが 選手たちはあまり先の事まで憂えずに、目の前の1日1日に努力してるのだと思う。
潜在能力には 何事かに秀でているというよりも
  努力できる能力がある
  継続できる能力がある
という類いのものかもと 最近思う

練習をサボり安きに流れる今の自分は 
歳をとった自然の姿なのか
それとも 残りの30年の人生を放棄しているのか

楽観主義と自然体がモットー
さて これから どうする?

6+

順繰り

(ニューウェイブ誌 2021年6月号コラムにて)
先日、昼食から事務局へ戻る途中、自転車に乗った中年の女性が猛スピードを出して後ろから私と接触し、そのまま振り返りもせず行ってしまった。さすがに「ムカッ」ときたが、自転車にはナンバープレートもなく、追いかける走力もない私は只々立ち尽くすだけであった。当たる瞬間反射的に手を引いたので軽い接触で済んだのだが、こんなことなら手を引かずに思いっきり当たってやればよかったなどと考える自分がいた。
最近、特にSNSでは顕著であるが、いわゆる「匿名」の暴力が蔓延している。自分の身元が知れなければ、何をやってもいい。仕返しが来ないので、やったもの勝ち。誠に卑怯、卑劣な事であり、正々堂々と自分の名を証して、言いたいことをいうべきである。戦国時代などは、武士は戦う前に「やあやあ我こそは!」と名乗り合ってから戦ったという。
 先日ある記事にいいことが書いてあった。保育園の給食調理員に採用された女性が、子供二人の風邪で3日間休んだ。猫の手も借りたいくらい忙しい職場で、出社したはいいが申し訳なさもあり気の重い時間を過ごしていた時、50代のベテラン女性が言った。「子供が小さいと、急な休みもあるだろ」「どうもすみません」「いいんだよ、あたしだって、娘が小さいときは、やれ水疱瘡だ、おたふくだって、何度も休んだから。だから、順繰り」
「順繰り?」「そうだよ、いつかあんたの子どもに手がかからなくなった時に 同僚に子育てで手一杯の人がいたら、あんたが協力してやりなってことだよ」「はい」涙が止まらなかった。
「順繰り、順繰り」その言葉を繰り返して私は、自転車のオバハンを許すことにした。
「きっと、その先で転んでいるだろう」「きっと自分が歩いているときに自転車にぶつかられるだろう」
相当レベルの異なる話ではあるが、私は「神様は全てお見通し」という言葉が好きだ。しかし一方で、俗人の私は「しっぺ返し」「いい気味」という言葉も好きだ。歩きスマホの人が前から向かって来るとぶつかってやろうと思うこともある。どうも天国には行けそうもない。   

6+

本番の重要性

(ニューウェイブ誌 2021年2月号コラムにて)
私事ですが、実は60の手習いでサックスの教室に通いほぼ2年が経ちます。月2回のレッスンで、素質もなく進歩は遅いのですが、少しずつ音楽らしくなってきた程度です。初めの頃は一人でカラオケボックスへ行き、マメに練習をしていたのですが、忙しくなったり、寒くなったり、雨だったりするとそれをこれ幸いと言い訳にし、練習をさぼりがちになります。
 しかしながら、発表会などの本番がある場合は、そこへ向けて自ずと練習量が増えます。素晴らしい演奏だとほめてもらうことを期待する訳ではありませんが、それでもやるなら少しだけでも格好をつけたいとの深層心理でしょう。
 今年に入ってからは、コロナの影響で、発表会も中止になりました。そこで効果を発揮したのが、ユーチューブへのアップです。以前よりフェイスブックは継続していましたが、昨年4月の自粛期間に始めたユーチューブの制作が面白く、築地近辺のランチの店の紹介や散歩の様子、ペットの様子などをアップして楽しんでいます。そして今回発見したのが、レッスンでの様子をアップすれば それが疑似発表会となって そこへ向けて練習量が増えるということです。
1回の本番は練習の100回に匹敵すると聞いた事がありますが、小さなことでも自分なりの本番を設定し、そこへ向けて必死に準備する繰り返しが成長のコツなのかもしれません。翻って、できれば上司の方も部下に対して本番の機会を適宜与えることも育成のコツだと思います。

5+

「青春」してますか?

あなたは「青春」してますか?
次の50項目をチェックして、こころの若さを取り戻しましょう

チャレンジ  失敗  冒険  感動  トキメキ  元気
明るい  好奇心  行動力  スピード  夢  勇気  希望
情熱  信念  自信  闘志  若さ  歓喜  創造  涙
望み  リスク  向上  決意  純粋  恋  友情  真実
信頼  輝き  新鮮  自立  素直  朗らか  探求  忍耐
おおらか  ユーモア  美  優しさ  気配り  愛
ロマン  正面  悔しさ  厳しさ  集中  持続  志

5+

一読十笑百吸千字万歩

先輩の井内さんの定年後の指針です

一日一回は文章を読み、十回くらい大きな声で笑い、何度かに分けて深呼吸をし、原稿用紙2枚程度の文章を書き、体を動かすこと

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