(ニューウェイブ誌 2021年4月号コラムにて)
テレワークについて正しい理解が必要だ。まずそれは、イコール在宅勤務と結び付けている人も多いが、本来はテレ=離れる、ワーク=働くである。つまり効率的に仕事ができる場所で業務を行うということ。それぞれが持つワークライフバランスが確立できる可能性が高くなる。
もう一つは、テレワークは手段であり、目的ではないということ。よくはき違えていると見受けられる人がいるが、70%在宅は目標ではない。さらに言うとテレワークにおいて、社員は自立できずロボットにとってかわられるような業務を続けるならば、会社生活もそう長くないという厳しい一面が隠れているということ。
「じんざい」は6通りあるという。
「人罪」いるだけで会社に罪な人。教えてもできるようにならない。自分の給料分稼げない。居ないほうがチームの仕事がはかどる。
「人在」ただ会社に在るだけの人。単なる人手。指示した通りのことをやるだけ。自分で考えないので成長しない。フォローをしてもらうのが前提。
「人材」会社にとって人的材料になる人。潜在能力があり、どの「じんざい」にもなりうる。環境や意欲しだい。
「人財」会社にとって人的財産となる人。財産として投資でき、それに応えてくれる人。いなくてはならない存在。
さらに2つ。
「人済」昔は実力あったが、技術や知識は過去のまま、過去の栄光にすがる。成功体験にすがる。
「人災」会社が悪い。上司が悪い。世間が悪い。できないことは何でも他人へ責任転嫁。何かを任せるとトラブルを引き起こす。
さてあなたはいかがでしょうか?
【1日計画表の効用】
(2022年4月号 ニューウェイブ誌コラムにて)
私は、毎朝その日の予定を1日計画表に記入し、タイムスケジュールや優先順位をきめて頭の整理をする。すると、自分しか出来ない大事な仕事、他へお願い出来る仕事(何も自分でやらなくてもいい仕事)、やっつけ仕事(経費処理等)、メールだけで片付けられる仕事など整理ができ、あとは処理が済んだらマーカーペンで消して、頭から離す。そんな中で何日かに1度 気の重い仕事が出てくる。会合の段取り進行(うまく行って当たり前の仕事)、初めての仕事(要領がわからない、自信がない、不安)、交渉事(相手がいやがることをお願いせねばならない等)など…
そのような時、私はその仕事に給与から配分して「値段をつける」。いわば その仕事が終われば〇万円現金が手に入ると仮想するのである 例えば…
・当方主催(私が責任者)の会合(総会、理事会など)が無事終われば5万円
・クレームに対して電話せねばならぬ仕事なら その電話1本で1万円
・苦手な得意先と折衝なら 勇気を出し折衝をスタートして1万円、折衝が終われば2万円
・苦手な上司に失敗の報告をせねばならないなら その報告で1万円 など
毎日8時間目一杯つらい仕事をやっているわけではないから、その行為に多めの金額をあてることができる。月1回だけとても辛い仕事があり、たとえば月給が20万円なら、そのつらい仕事に10万円くらいあててもいい。このようにしていると、気が進まない相手への鬱陶しい内容の電話でも、たった1本この電話さえすれば1万円手に入り美味しいものが食べられると思えば、行動を起こしやすくなる。以上、何事も行動を起こさねば 次へ進まないので一歩前へすすむための自己マインドコントロール方法である。そして行動さえすれば、時間は勝手に進んでいくし、大抵は思い悩むほどのことはなく解決し 過ぎ去っていくのである。
人類 総オタクへの道へ
(ニューウェイブ誌2022年2月号コラムにて)
ニューノーマルの一つの課題が顕著になってきた。在宅勤務が増え、仕事をする環境になっていない住宅事情、家族との生活スケジュール、価値観のすれ違いが原因で、家庭不和が起きている話を耳にする。一見うまく行っているようでも、会社と同じく家庭でも身を切り、我慢をしいられての調整感が垣間見られる人も多い。
コロナ禍で若者だけでなく高齢者も家族に邪険にされながらも在宅勤務を余儀なくされ、1億総オタク化がすでに始まっている。おそらく今後は人類総オタクへの道を知らず知らずのうちに歩んでいくのではないだろうか?
そのような背景もあり未来のオタク候補生となりつつある私は、お正月休みに、なんとベストセラーになっている「オタクが予測する2060」を手にした。今後ニューノーマルではマーケティング対象の主役になるであろうZ世代やオタク。冊子の中には ドローンや電気自動車、水力発電まで多様なビジネスチャンスが取り上げられており違った角度からの予測もあり興味深い。
30年後には「オタク」という響きは 今と異なったものになり勝者の代名詞になっているかもしれない
「鏡」のお話
(ニューウェイブ誌2021年12月号コラムにて)
夏のお盆休みに故郷へお墓参りへ行った際、住職さんにまあお茶でもと誘われ色々なお話を聞いた。
それは「鏡」のお話で、「あなたは、あなたを知っていますか?」という不思議な問いから始まった。
住職さんのお話をそのまま引用すると、最近「私は悪くない症候群」が老若男女を問わず急増している。自分の非は一切認めず、相手に責任を転嫁する人が圧倒的に多くなった。その原因を推測すると
① 核家族、少子化が進み、叱られた経験がなく大人になってしまった。
② SNSの時代で自分の偏った価値観だけが全てになった。
③ ネットやAI化が進み、すぐ答えを得られる分だけ想像力が低下、周囲の状況や気持ちを思いやることができない。
など超個人主義が急増している。このように自己主張ばかりする人が増えてくると、当然いさかい衝突が起きるのは当然のことである。
仏道のことを内道ともいうが、内道とは、自分の内側、つまり自分の心の有り様を目をそむけることなくまざまざと眺めることである。私たちの目は外を向いているので、自分の内側は見えない。お寺のご本尊、み仏さまの御前に「大きな鏡」が祀られているのは、その鏡に自分の心を映し出しなさいと安置されているのである。
現在の風潮を思いやり得心すると共に、「鏡」というものの意味がよくわかった。明日の朝から鏡の見方が変わりそうだ。そういえば三種の神器にもあったような。
自己責任
(ニューウェイブ誌2021年10月号コラムより)
「自己責任」について考えることがある。有名人の不祥事や政治家の説明に、どうも責任転嫁や責任をとらなくていいように「のらりくらり」と時間稼ぎをして逃げる態度がよく目につく。記者会見の質問にワザと真正面から答えない政治家、不祥事やミスに対し、それを認めずに他人のせいにしてしまう有名人。軽々しく何でもかんでも「私の責任です」と言ってしまうのも考えものだが、明らかに責任の一端はあるはずと思われる場面で「とぼける」のはいかがなものか。
一時の飲食偽装事件等のように、たくさんのカメラの前で一列にならび、長い間頭を下げる風景は最近ご無沙汰で、不祥事の際、しっかり説明責任を果たさず、「他人のせいにして、SNSでたたかれ炎上し、人々の関心が薄くなれば(別の炎上物件が出てきたら)無罪放免」が目立つ。
新型コロナの対応でも「あなた任せ」の対応が目立ち、責任をとりたくないからお願いをして、最後は自主判断で これでは対応とは呼べない。
また記者会見での抽象的な「努力します。前向きに、全力で 迅速に…」など単語のひとつひとつは格好いいが、具体的に何をしたいのかを発言しないので聞いている人もわからず今や逆効果になっている。これでは発表ではないし、その原稿をつくっている取り巻きをも疑ってしまう。具体的な対策や決断、意思を知りたいのである。新入社員の時 「5W1H」で説明せよと良く指導されたが、為政者は是非とも国民の範となる姿勢で仕事をしてもらいたい
会社では大きなものから小さなものまで社員のミスは最終的にすべて社長が責任を負うことになる。その覚悟で日々必死に経営をしている中小企業420万社の社長たちが、自身のミスは他人に振り、また出来るだけ責任をとらなくていい発言しかしないような国のトップやその取り巻きには誰もついていくはずがないし、もういいかげん辟易としている。
緊急自粛宣言下で、毎日のようにオリンピックを視聴し、選手たちが結果の全てを潔く全身で受け止める姿を見て、思わず愚痴をこぼしたくなった。
明元素
(ニューウェイブ誌 2021年8月号コラムより)
新型コロナ感染拡大による自粛で、ストレスがたまり精神衛生上負担の多い日が続いています。精神衛生というと、昔から自己マインドコントロールの主役として「明元素(めいげんそ)と暗病反(あんびょうたん)」が有名です。
ご存じの方も多いと思いますが…
明元素言葉とは、(ありがとう、充実している、簡単だ、できる、やってみよう、挑戦します、楽しい、うれしい、おもしろい、すばらしい、おいしい、すてきだ…など)
暗病反言葉とは、(忙しい、疲れた、いやだ、難しい、できない、やりたくない、つらい、つまらない、ダメだ、不幸だ、どうせ、どうでもいい…など)
同じ事象をどちらで思考するかで、気分も大きく180度変わってきます。例えば時間。「まだ30分もある…」と「もう30分しかない…」明元素は「現状を打破する言葉」、暗病反は「現状を維持してしまう言葉」と言われています。難しいことはありません。頭のスイッチを自分で右にきるか左にきるかの違いだけです。
自粛期間、同じ時間を過ごすなら、明元素思考で少しずつでも自分を成長させていきましょう
順繰り
(ニューウェイブ誌 2021年6月号コラムにて)
先日、昼食から事務局へ戻る途中、自転車に乗った中年の女性が猛スピードを出して後ろから私と接触し、そのまま振り返りもせず行ってしまった。さすがに「ムカッ」ときたが、自転車にはナンバープレートもなく、追いかける走力もない私は只々立ち尽くすだけであった。当たる瞬間反射的に手を引いたので軽い接触で済んだのだが、こんなことなら手を引かずに思いっきり当たってやればよかったなどと考える自分がいた。
最近、特にSNSでは顕著であるが、いわゆる「匿名」の暴力が蔓延している。自分の身元が知れなければ、何をやってもいい。仕返しが来ないので、やったもの勝ち。誠に卑怯、卑劣な事であり、正々堂々と自分の名を証して、言いたいことをいうべきである。戦国時代などは、武士は戦う前に「やあやあ我こそは!」と名乗り合ってから戦ったという。
先日ある記事にいいことが書いてあった。保育園の給食調理員に採用された女性が、子供二人の風邪で3日間休んだ。猫の手も借りたいくらい忙しい職場で、出社したはいいが申し訳なさもあり気の重い時間を過ごしていた時、50代のベテラン女性が言った。「子供が小さいと、急な休みもあるだろ」「どうもすみません」「いいんだよ、あたしだって、娘が小さいときは、やれ水疱瘡だ、おたふくだって、何度も休んだから。だから、順繰り」
「順繰り?」「そうだよ、いつかあんたの子どもに手がかからなくなった時に 同僚に子育てで手一杯の人がいたら、あんたが協力してやりなってことだよ」「はい」涙が止まらなかった。
「順繰り、順繰り」その言葉を繰り返して私は、自転車のオバハンを許すことにした。
「きっと、その先で転んでいるだろう」「きっと自分が歩いているときに自転車にぶつかられるだろう」
相当レベルの異なる話ではあるが、私は「神様は全てお見通し」という言葉が好きだ。しかし一方で、俗人の私は「しっぺ返し」「いい気味」という言葉も好きだ。歩きスマホの人が前から向かって来るとぶつかってやろうと思うこともある。どうも天国には行けそうもない。
本番の重要性
(ニューウェイブ誌 2021年2月号コラムにて)
私事ですが、実は60の手習いでサックスの教室に通いほぼ2年が経ちます。月2回のレッスンで、素質もなく進歩は遅いのですが、少しずつ音楽らしくなってきた程度です。初めの頃は一人でカラオケボックスへ行き、マメに練習をしていたのですが、忙しくなったり、寒くなったり、雨だったりするとそれをこれ幸いと言い訳にし、練習をさぼりがちになります。
しかしながら、発表会などの本番がある場合は、そこへ向けて自ずと練習量が増えます。素晴らしい演奏だとほめてもらうことを期待する訳ではありませんが、それでもやるなら少しだけでも格好をつけたいとの深層心理でしょう。
今年に入ってからは、コロナの影響で、発表会も中止になりました。そこで効果を発揮したのが、ユーチューブへのアップです。以前よりフェイスブックは継続していましたが、昨年4月の自粛期間に始めたユーチューブの制作が面白く、築地近辺のランチの店の紹介や散歩の様子、ペットの様子などをアップして楽しんでいます。そして今回発見したのが、レッスンでの様子をアップすれば それが疑似発表会となって そこへ向けて練習量が増えるということです。
1回の本番は練習の100回に匹敵すると聞いた事がありますが、小さなことでも自分なりの本番を設定し、そこへ向けて必死に準備する繰り返しが成長のコツなのかもしれません。翻って、できれば上司の方も部下に対して本番の機会を適宜与えることも育成のコツだと思います。
「引継ぎ」の重要性
(2014年3月号コラムより)
3月は決算シーズンあると共に、転勤・担当変更の時期でもある。それに伴い「引き継ぎ」という重要な仕事が発生する。その「引き継ぎ」が軽く扱われていないか心配だ。
「あとは君の考えでやってくれ」などと体裁はいいが義務放棄のような引き継ぎさえある。
お客様はその会社いやその担当者を信頼し又 好きになって仕事をまかせたり、発注したりする。皆様も家を建てたり、保険や大型設備などの売買、契約で長く付き合うケースで担当者がかわってしまい不具合を感じたり、 その会社への期待感が一気に薄れた経験は
ないだろうか? 担当の期間でお客様との信頼の構築に汗水ながし時間をかけて努力し築き上げたものを、「担当変更の引き継ぎ不足」によって 白紙にもどすのはある意味会社への裏切り行為でもある。お客様との歴史的つきあいの背景やお客様自身のこだわり・好み・思い・・それらをしっかりと充分な手間をかけて引き継ぐべきだろう。そうでないと会社としての信頼は積み上げて行くことができない。前任者の達成レベルからより高く積み上げられるよう引き継ぐことはある意味 その担当での卒業試験のようなもの。
在任期間の仕事での最重要の内容といっていいかもしれない
お祭り
(2014年1月号コラムより)
弊誌表紙は全国各地の「日本の祭り」の写真で飾らせていただいている。全国の市町村役場に写真データをご提供いただき、出来上がった冊子は礼状を添えてお送りしている。New
Wave誌を宣伝すると共に地元に電材の組合があることをアピールするためである。
私はこのお祭りシリーズを続けたいと考えている。なぜなら、お祭りは地域の文化や伝統を継承する行事であり、何よりも人と人との繋がりを強くするイベントだからである。
「祭り」とは感謝や祈り、慰霊のために神仏および祖先をまつる行為(儀式)である。「家内安全」、「夫婦円満」、「子孫繁栄」、「祖先崇拝」、「天下泰平」などを招福祈願、厄除祈念として行われる。
社会環境の変化と共に祭りも「見せるイベント」という要素が強くなっている傾向も見受けられる。それでも神仏に畏敬の念を抱き、先祖を尊ぶ気持ちを祭りの時に忘れないでいて欲しい。また、「縁の下の力持ち」となって祭りの開催に尽力した人たちへの感謝の心も持ってもらいたい。
政治のことを「まつりごと」とも言うようだが、為政者には神仏に畏敬、先祖への尊敬、国民への感謝の心によって国の舵取りをお願いしたい。 [事務局長‐宮軒治雄]