逆転勝ち

(ニューウェイブ誌2016年10月号 コラムより)

今夏のリオ・オリンピックは金12、銀8、銅21、合計41個のメダル獲得という大躍進でおおいに楽しませてもらったが、レスリングの3連続逆転金メダル、バトミントン、体操、柔道、卓球など数多くの試合で感動の逆転勝ちが目立った。終盤に「やっぱりダメか」とあきらめたかけた場面が幾度もあったが、いつからこんなに日本人は粘り強くなったのだろうか。そういえば25年ぶり優勝の広島カープも75勝のうち40勝(8月末現在)が逆転勝ちである。

高校野球を始めスポーツの世界では 逆転勝ちがハッキリと目に見える。商売も食うか食われるか、勝つか負けるかで判定される厳しい世界であるが、いかんせん今この時、勝っているのか、負けているのかが見えにくい。又敵が誰かを判別する目もむずかしい。照明器具の敵は内装屋(カーテン)さんという見方もある(ユーザーの予算観点から見て)

逆転の心理を調べてみる。言い古された言葉だが「野球はツーアウトから」「諦めたらそこで試合終了」「守りに入ってしまった」「浮足立ってしまった」等、又一方まさにリオはこれに当てはまると思うが「逆転勝ちの連鎖」などがある。「私も逆転勝ちできるかも知れない」というプラス心理である。

そして最近のスポーツでは昔からの筋肉トレーニングだけでなく、メンタルトレーニングを取り入れ想定できる場面をイメージして練習し、その時生まれる心理状態への耐性をつくるという。勝ちたいという強い気持ち、だれにも負けない練習を積んだという自負に科学の力が加わっての逆転勝ちである。

3+

人間心理の脆さ

(ニューウェイブ誌2017年5月号コラムより)

巷では、旅行会社「てるみくらぶ」の破産トラブルの問題でもちきりである。高齢化により年々増加する海外旅行の案件なので、他人事でない人が多く、関心が高い。9万人の旅行申込者や1100人のすでに旅行中の人、又50人の就職内定者だけでなく連鎖倒産も含めると影響は甚大である。

被害にあわれた方には誠に申し訳ないが、この一件で、「安かろう悪かろう」という選別(疑い)に消費者の目が肥えて、今後同様の事件がおきないよう願いたい。しかし私自身振り返ってみると結構危ない橋を渡っている。一昨年に初めて格安旅行サイトを利用したが その時は「怪しげだが、一度使ってみよう。騙されたらそれも経験だ」と少金額という事もあり利用してみた。しかし一度うまくいくと同じサイトだけでなく他の格安サイト含めインターネットへの信頼感は格段にアップし、 今振り返ると3回目使用時には騙されるなんて寸分にも思わなかった。犯罪などもおそらく同様だと思うが、一度うまく行くと疑心暗鬼の度合いが急激に減少する。そして繰り返してしまい金額も大きくなっていく。

人間心理の脆さを垣間見た気分である。

4+

捨てなければ新しいものは入らない

(ニューウェイブ誌2017年4月号コラムより)

フロイト、ユングと並ぶ心理学三大巨匠の一人アドラーが書いた「嫌われる勇気」がベストセラーになり、TVドラマ化された。又、主婦の間では整理、片付けのアドバイスをする「捨てる勇気、残す覚悟」(主婦の友社)がはやっているという。

そして先日、本屋での散策中に目に止まった「〇歳からの手ぶら人生」という本を興味深く読んだ。作家は弘兼憲史、あの有名なマンガ「課長・島耕作」の作者である。内容はというと今持っている物を捨てなければ次に進めないというもの。①持ち物を捨てる(見栄、こだわり、肩書き、本、写真など)②友人を減らす(真の友人はひとりでいい)③お金に振り回されない(分相応のお金で)④家族から自立する(適当な距離を保ち、奥さんに嫌われない)そして身辺整理したその先で手ぶらの自分を楽しめという内容である。

振り返ってみると現実の仕事では情報過多の時代で、やるべき事ばかり指示がきて 何を捨てろという指示は来ない。詰め込むばかりではいつかパンクしてしまう。本当に必要な新しい事を始めるには、それが入るだけのスペースをまず空ける必要がある。前述のように残す覚悟が持てるものだけ残し、それ以外は一度思い切って捨ててしまえば、目の前の視界がスッキリするのではないかと思う

3+

娘とひつまぶし

(ニューウェイブ誌2016年9月号コラムより)

私事であるが、娘が今年の4月に就職し、本人たっての希望もあり初めての一人住まいも同時に始めた。案の定5月にカベにぶつかり「周囲の目が痛い」などと自信を無くしている様子。大学時代まで吹奏楽も続けていたし、色々なアルバイトで友人も多く、人とのコミュニケーションは上手な方だと見ていて安心していたのだが……やはりアルバイトと本職は責任の重さが違う。自分はまだまだ半人前だと自覚し謙虚に学ぶ心を持って初めて成長が始まる。自分は出来る人間だと錯覚した時点で成長は止まる。

カベといえば、私も随分昔に営業の担当ルートの変更で大きなカベにぶち当たった経験がある。今思えば貴重な経験であったと言葉に出せるが、その時は必死であった。振り返ると乗り越えることが出来た原因は、周囲の人のアドバイスであった。「神様はその人が乗り越える事ができる高さのカベしか与えない。成長できるようにその人の実力の少しだけ高いカベ(難題)を人生の必要な場面で与えるのです。決して越えられない高いカベは与えません。それはある意味神様のあなたへの期待値です」という言葉であった。同時に、気晴らしの方法などのアドバイスもいただき何とか乗り越えることが出来た。又合わせて「悩んで動きがとれなくても、逃げずに真正面から対していれば、時の力で周囲の状況も変わってくる」いわゆる「慣れる」という人間の持つ万能の力を実感した人生の一場面でもあった。

親バカながら、娘に名古屋名物の「ひつまぶし」を御馳走し、お酒の力も借りて父の経験を力説したが……娘はどうも耳半分の様子であった。

2+

できる方法を考えよう

ニューウェイブ誌2020年2月号
新年を迎えるにあたり、人間の限界について考える機会があった。新年会でのメーカー様のお話であるが、最近特に気になるのは、若い人に仕事の指示をしたときに、その場で「その指示が自分にできるかどうか」を判断して、難しそうな顔をする場面が見受けられるとのことである。時にはやってもいないのに「できません」という否定的な答えがすぐに帰ってくる事もあるという。上司もその人なら出来ると期待して指示をするのであり、ひと昔前なら指示された仕事はとりあえず「はいわかりました」と受けて、悩みながら、周囲の人に相談、先輩に教示を受けながら結果を出してきた。
思うに、おそらくスマホを筆頭とする大量の情報の中に答えを探し、できるかできないかの判断材料としているのではないか。ある意味、あふれる情報の中で答えを探す習慣がついており、それが仕事という自分の成長の場でも自分を制限してしまっている。
しかしこれでは、その情報の提供者以上の成長は望めない。かつて私が営業マンであったころ、お得意先様の社長室に飾ってあった駒にこうかかれてあった。「できないという前に、できる方法を考えよう」いまに思えば、その駒の威圧で、どうも某社長のお願いは、いつも断れなかった気がする(笑) しかし思えばこれは名言で、その後の私の人生訓としてしっかり残っている。
 心理学的には、人間の顕在能力はわずか5%で まだ95%の潜在能力を持っているという。真偽の不明なスマホの情報で判断し、自身の顕在能力の範囲内で物事を判断し、まだ20倍もある潜在能力を封印したまま人生を送るのは もったいないと思う。年末に日本中に感動を与えたラグビーもそうだが、スポーツ界での一人者は皆、自分の限界に常に挑戦し続けている。限界は目に見えるものではなく目には見えないものだと思う。

2+

危機状態で顕在化されるもの

ニューウェイブ誌2020年4月号
新型コロナウィルスの感染拡大の影響が このコラムを書いている3月半ばでも一向におさまらない。
3月11日現在の状況を羅列すると
・マスクが品切れ
・トイレットペーパー、ティッシュが品切れ
・休校要請による米、ラーメン等の買いだめ
・共働き家庭での混乱
・テレワークの急速な増加
・時差通勤の実施
・カラオケ、スポーツジム禁止
・スポーツの無観客試合
・プロ野球の開幕延期   など
この影響で、収入減少の直撃を受けている方には大変申し訳ないが、ピンチをチャンスに変える機会ともとらえたい。
まず、休校により共働き家庭において、おじいちゃん、おばあちゃんの大切さが再認識されたこと。核家族でしか育ったことのない親世代も兄弟、親戚のありがたさ、つながりを再認識できたこと。
次に、今やITなしでは、仕事がすすまないとあらためて認識できたこと
そして、高齢化、女性躍進、若者の労働価値観の変化に欠かすことのできない「テレワーク」について、難しいといわれる私どもの業界でも直行直帰にて得意先で仕事をさせていただき、移動時間を削減し有効面談時間を増やし、生産性を上げる体制等への移行の検討がなされたことなどがある。
 危機状態には本当に大切なものが顕在化されるという。どうしても失うものに目が行くが、一方新しく視野に入るものもあるはずである。

2+

「初めて」の場数

日本人の英語習得が進まない理由のひとつに日本人固有の「対人恐怖症」があるという。欧米のカウンセラーから見ると日本人の99%が対人恐怖症らしい。初めての人に日本語ですら話しかけられない気質が、カタコトの英語からの上達を大きく妨げているという。

たしかに、知らない人、初めて会う人と接しなければならない時は気が重くなるし、できればそんな場は避けたくなる。しかし、ビジネスではそんなことは言ってられない。今後の主戦場はますますユーザーに近くなるだろうし、日本市場を虎視眈々と狙うグローバル企業との競争に勝つためにも、初対面の人相手にどんどん積極的にあつかましく商売をしていかねばならない。

そこで、自己マインドコントロールの出番となる。名刺や新規顧客カードを集めて積んでいく楽しみを作る、初めて会う人との1時間は既存の人との1時間より10倍の価値があると考える…など。肉食であるビジネスの戦いでは、初めて会う人、「初めて」の場数が勝敗を決めるというのは言い過ぎだろうか

3+

サラリーマン川柳に見る「パワハラ」

(ニューウェイブ誌2018年12月号コラムにて)

毎年9月から10月にかけて募集される第一生命のサラリーマン川柳。1986年に社内コンクール企画としてスタートして32回を数えるが、それぞれの時代のサラリーマンの“ホンネ”を代弁し、働き方の変化が表れる。2010年頃からは「パワハラ」にスポットが当てられ、部下に配慮する上司の姿と、自由な行動をする部下の姿を投影した句が多く登場する。たとえば「叱らずに育てた部下に怒鳴られる」「気遣いは昔上司に今部下に」「「辞めます」に上司どっきり「タバコです」」「頼みごと 早いな君は できません」等。中間管理職の苦悩はまだまだ続きそうだ。

その道の一人者に パワハラ、セクハラの境目(判断基準=裁判になった時の論点)を聞いてみた。

【パワハラの論点】

  • 業務(=教育的指導含む)の範囲を超えているか否か
  • 相手の人格・人権を傷つける言動になっていないか

【セクハラの論点】

  • 被害者の不快感の程度~同じ職場で被害者と同じ性に属する人達の一般的な受け止め方が基準
  • 職務上の地位、関係性

NO(いや!)と言えない立場である

私なりの判断は リスペクト(尊敬)を伴うソンタク、愛情(一人前にしてあげたい)を伴うコミュニケーションであれば胸をはってもいいのではと思う。ハラスメント菌を駆逐するのは、見返りを求めない無償の愛情ではないだろうか?甘いね君は、と言われそうだが、、、

4+

認められないのは、、、、

(ニューウェイブ誌2017年7月号コラムより)

 低迷していた女子ゴルフ界を浮上させ、世界のトップ選手として活躍してきた宮里藍選手が、現役を引退した。引退の記者会見は報道陣からの質問にも一つ一つ相手のほうを向いて笑顔で応じるすがすがしいものであった。座右の銘は「意思あるところに道はある」というリンカーンの言葉であり、「人生に明確な目的があれば、どんな困難でも乗り越えられる」と解釈される。行動を伴った人の言葉には説得力がある。

あえてこれに付け加えるとすれば大村智氏をノーベル賞に導いた「至誠天に通ず」という孟子の言葉がある。大村氏はこの意味を「ある地位についたら、あらゆる努力をする。そうすれば目指したものが大体実現できる。ごまかしでいい加減にやっているとだめだが、一生懸命にやっていれば必ず支援者も現れる」と、自らの経験で得た信条とともに学生に語ることも多いという。純粋なまごころを尽くして行動すれば、いつかは天に通じ認められるということである。

孟子の言葉を違った角度から解釈すれば、「認められないのは誠の心を尽くしてあらゆる努力をしていないからだ」となる。私のような俗人には、こちらのほうが効き目があるような気がする。

4+

スマホに振り回されるな!

(ニューウェイブ誌2017年11月号コラムより)

ここ数日、眼の奥が痛むので眼医者へ行ったところパソコン、スマホの見過ぎによる疲労だという。確かに身に覚えがある。基本的に事務局内では、ほとんどの時間パソコンに向かっているし、仕事が終わったら終わったでついついスマホいじりをして寝床にまで持って行ってしまう。まあ中毒一歩手前である。

昨今は操作も簡単になり、スマホに向かって一言声を出せば回答が出てくる。英語の変換もやってくれ分厚い辞書もいらないし、ご丁寧に発音までもしてくれる。

だから覚えることをしなくなったし、深く考えることをしなくなった。深く考える前に類似の事例を検索し答えを見つけて(その答えが正しいか否かも考えず)処理としてしまう。聞くところによると 平均的労働者は労働時間の60%をコンピュータによるコミュニケーションとインターネットの検索に使い 30%をメールに費やしているそうだ。そしてこの90%の仕事らしきものは、知的要素を必要としない補助的な仕事であり注意散漫な状態でなされることが多い。こうした作業は新しい価値を生み出さず、誰にでも(将来的にはロボットにでも!)容易に再現することができる仕事が多い。少なくともあなたでしか出来ない仕事ではない。

たしかに前述の生活を続けていると何か自分の思考で生きている実感がすくなく、ただただ時間を浪費しているだけで、生き生きと時を過ごしている実感が湧かない。そういえば生きている実感のある場面と言えば テニス、野球、ゴルフ、登山、釣りなどの身体を動かした後や、酒場で仲間と一杯やって大騒ぎをした後だったり、いずれもコンピュータとは離れた世界だ。

働き方改革につうじるかどうかはわからないが、スマホ等に振り回されないように、メールを見る時間を固定し、コンピュータの見る時間を半減するなどして、上司や先輩から学びとる時間にあてたり、集中して深く考える時間にあてたりしてはどうだろうか?

コンピュータに向かう時間が全て無駄とは言わないが、いずれロボットでも出来る仕事だと思えば、ロボットに出来ない仕事に比重を置いてはどうだろうか?

4+