日野原重明名誉院長のことば

(2018年2月号コラムより)

築地のすぐ近くにある「聖路加国際病院」の名誉院長であり、昨年105歳で亡くなった日野原重明氏の「いのちの使いかた」という本に出会った。氏はオウム真理教によるサリン事件の時に一般患者の診療を急遽中止して640名の患者の対応をしたことや、生活習慣病という言葉をつくり、完全独立型ホスピスを日本で初めてつくった事などで有名である。又、58歳の時に「よど号」ハイジャック事件の人質から生還した後、「命という与えられた時間を困っている誰かのために捧げるのが人としての使命」と、小学校で226回の「いのちの授業」を開講し伝えていくということをした。

そして、氏が病床にて最後に伝えた言葉がふたつある。ひとつめはエンカウンター(出会い)であり、それは自分を成長させる糧であるということ、そしてふたつめはキープオンゴーイング(全身し続ける)ことの大切さである。文字通り生涯現役を貫き全身し続けた実践の人であった。

働くということは、与えられた命(時間)を人様のためにつかうことである…60歳を迎える年の始めに「天秤にかけると、まだまだ奉仕の時間が足りない」と再度スタートラインにつくための素晴らしい出会い(プレゼント)を頂いた。

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限界を超えよう

(2020年1月号コラムより)

新年を迎えるにあたり、人間の限界について考える機会があった。新年会でのメーカー様のお話であるが、最近特に気になるのは、若い人に仕事の指示をしたときに、その場で「その指示が自分にできるかどうか」を判断して、難しそうな顔をする場面が見受けられるとのことである。時にはやってもいないのに「できません」という否定的な答えがすぐに帰ってくる事もあるという。上司もその人なら出来ると期待して指示をするのであり、ひと昔前なら指示された仕事はとりあえず「はいわかりました」と受けて、悩みながら、周囲の人に相談、先輩に教示を受けながら結果を出してきた。
思うに、おそらくスマホを筆頭とする大量の情報の中に答えを探し、できるかできないかの判断材料としているのではないか。ある意味、あふれる情報の中で答えを探す習慣がついており、それが仕事という自分の成長の場でも自分を制限してしまっている。
しかしこれでは、その情報の提供者以上の成長は望めない。かつて私が営業マンであったころ、お得意先様の社長室に飾ってあった駒にこうかかれてあった。「できないという前に、できる方法を考えよう」いまに思えば、その駒の威圧で、どうも某社長のお願いは、いつも断れなかった気がする(笑) しかし思えばこれは名言で、その後の私の人生訓としてしっかり残っている。
心理学的には、人間の顕在能力はわずか5%で まだ95%の潜在能力を持っているという。真偽の不明なスマホの情報で判断し、自身の顕在能力の範囲内で物事を判断し、まだ20倍もある潜在能力を封印したまま人生を送るのは もったいないと思う。年末に日本中に感動を与えたラグビーもそうだが、スポーツ界での一人者は皆、自分の限界に常に挑戦し続けている。限界は目に見えるものではなく目には見えないものだと思う。

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ハワイ

ハワイの開放的で明るい雰囲気は、まさにバカンス。人気のカフェとお洒落なホテル 観るもの全て 画題になります。ハワイで絵ハガキ売って暮らそうかな☺️😁

 

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パソコン教室

ブログを始めるために、パソコン教室に通いはじめた。受講科目は(ツイッターを始めよう)(ブログを始めよう)(ペイントを始めよう)の3つ。ついでにPCでのペイントにも挑戦してみる。1時間1200円のビデオを使った教室だが、わからない時、質問に答えてくれるサポートの先生も居て、うまく出来てる。

13+

油絵に挑戦

2018年1月東京のマンションのすぐ近くに「絵画教室」が出来たので、油絵に挑戦してみた。果物と一人旅行に行ったスペインでのお城の絵。出来上がって、額に入れるとどちらもそれなりに見えるのが不思議だ。

16+

断捨離

(2019年1月号コラムより)

平成を終え、新しい元号に変わるのをきっかけに「断捨離」なるものを実行してみようと思う。「断捨離」とは、「もったいない」という固定観念に凝り固まってしまった心を、ヨガの行法である断行・捨行・離行を応用したもので、
断:入ってくるいらない物を断つ
捨:家にあるずっといらない物を捨てる。
離:物への執着から離れる。
として自分自身で作り出している重荷からの解放を図り、身軽で快適な生活と人生を手に入れることが目的である。執着を捨てて不要な物を捨てねば新しいものの入るスペースがない。これはタンスの中でも頭の中でも同じだろう。まだ使える、まだ価値があると物を主体とする考え方ではなく、「自分にとって必要な物なのか?」と自分が主体となることが肝要だ。そして「断捨離」は「今」を起点とする「今の自分」に対し「今あるもの」が必要か否かを自分自身に問うことにより、「こだわり」を除き、本質的に大切なことを浮き彫りにしてくれる。
昨今は、物だけでなく、情報が氾濫し、インターネットですぐ検索できる便利な時代ではあるが、その情報の正否の判断作業が不可欠で、作為的に取り繕ったものもあり、侵入という魔の手もすぐ近くにきている。
膨大な情報量が入り乱れている現在、ともすると「ながら」の行為=同時処理で、頭が整理できず、優先順位が混乱し、ストレスもたまっていく。仕事をやっているようだが、中身は薄く、結果として何も残らない。
今年は、1つ1つ丁寧に集中して事に当たり、小さなものでいいので、地に足をつけて、結果を着実に積み上げていく年にしたいものである。

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築地本願寺と鉄砲洲神社

医者から毎日1万歩歩けと厳命を受け、朝の散歩と昼の昼食後の散歩が定番になってきた。散歩も途中にお寺や神社に寄るようにすると、さぼってしまうと良くないことがおこりそうで、かかさず行くことになる。

(築地本願寺 3月のことば)出会いは人生を豊かにし、別れは人生を深くする。深いコトバである。出会いも別れも必ず意味があって、神様が仕向けたもの。刺激を受けたり、影響を与えたり。袖触れ合うも多少の縁ともいうが、ひとりでは生きていけないし、成長もしない。人との関与は煩わしいこともあるが、おそらくそれ以上に得るものは大きいのだろう。

(鉄砲洲神社 3月のことば)人生に失敗がないと、人生を失敗する。 失敗を慰め勇気づけることばであるが、失敗を受け入れ肯定するところから始まるのだろう。赤ちゃんのころから、ころんだり、泣いたり すべてのことに対して失敗して育ってきたのだから。大人になって失敗をおそれるなんて、自分の成長をあきらめるのと同じ。何もことを起こさねば失敗はしないのだから。

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引き算の効用

(2018年9月号コラムより)

7月号で掛け算のワクワク感についてコラムを書いたが、今回は引き算のご提案である。商売には足し算の商習慣が従来より多くあり、無料配送、景品付き、据付け無料などのサービスが次々と付加され、サービス合戦を招く結果となっている。
一方発想を引き算に変えて売れている事例も出てきている。例えばビールからアルコール分を抜いたノンアルコールビール。ビールから色をなくした透明ビール。焼きの行程を省いた生醤油。早く運ぶことをやめ、遅く運ぶことで別の価値を見出したJR九州のななつ星列車。さらに某メーカーのクーラーは現地のニーズを聞いて余分な機能を全て捨て安価にすることにより某国でのシェアを0%から15%にのばした話も聞く。
仕事の観点でも本当に価値のある事をプラスするには引き算が必要だ。自分自身の仕事「働き方」を考えてみると今まで一番重要だと思い込んでいたものを引き算してみるのはいかがだろうか?案外全く新しい世界が目の前に開けるかもしれない

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筑前煮

根菜の料理も一つくらいマスターしておくべきと、無謀にも「筑前煮」に挑戦してみた。人参が苦手なため彩(いろどり)に問題がある点と里芋が溶けてしまった点を除いては、味は合格。作ってみて、鶏肉を切ったり、野菜を切ったりにかなり労力を要することがわかった。4人前の分量をつくったので、今回は3回に分けて食す。

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