ハワイ

ハワイの開放的で明るい雰囲気は、まさにバカンス。人気のカフェとお洒落なホテル 観るもの全て 画題になります。ハワイで絵ハガキ売って暮らそうかな☺️😁

 

16+

油絵に挑戦

2018年1月東京のマンションのすぐ近くに「絵画教室」が出来たので、油絵に挑戦してみた。果物と一人旅行に行ったスペインでのお城の絵。出来上がって、額に入れるとどちらもそれなりに見えるのが不思議だ。

16+

断捨離

(2019年1月号コラムより)

平成を終え、新しい元号に変わるのをきっかけに「断捨離」なるものを実行してみようと思う。「断捨離」とは、「もったいない」という固定観念に凝り固まってしまった心を、ヨガの行法である断行・捨行・離行を応用したもので、
断:入ってくるいらない物を断つ
捨:家にあるずっといらない物を捨てる。
離:物への執着から離れる。
として自分自身で作り出している重荷からの解放を図り、身軽で快適な生活と人生を手に入れることが目的である。執着を捨てて不要な物を捨てねば新しいものの入るスペースがない。これはタンスの中でも頭の中でも同じだろう。まだ使える、まだ価値があると物を主体とする考え方ではなく、「自分にとって必要な物なのか?」と自分が主体となることが肝要だ。そして「断捨離」は「今」を起点とする「今の自分」に対し「今あるもの」が必要か否かを自分自身に問うことにより、「こだわり」を除き、本質的に大切なことを浮き彫りにしてくれる。
昨今は、物だけでなく、情報が氾濫し、インターネットですぐ検索できる便利な時代ではあるが、その情報の正否の判断作業が不可欠で、作為的に取り繕ったものもあり、侵入という魔の手もすぐ近くにきている。
膨大な情報量が入り乱れている現在、ともすると「ながら」の行為=同時処理で、頭が整理できず、優先順位が混乱し、ストレスもたまっていく。仕事をやっているようだが、中身は薄く、結果として何も残らない。
今年は、1つ1つ丁寧に集中して事に当たり、小さなものでいいので、地に足をつけて、結果を着実に積み上げていく年にしたいものである。

13+

引き算の効用

(2018年9月号コラムより)

7月号で掛け算のワクワク感についてコラムを書いたが、今回は引き算のご提案である。商売には足し算の商習慣が従来より多くあり、無料配送、景品付き、据付け無料などのサービスが次々と付加され、サービス合戦を招く結果となっている。
一方発想を引き算に変えて売れている事例も出てきている。例えばビールからアルコール分を抜いたノンアルコールビール。ビールから色をなくした透明ビール。焼きの行程を省いた生醤油。早く運ぶことをやめ、遅く運ぶことで別の価値を見出したJR九州のななつ星列車。さらに某メーカーのクーラーは現地のニーズを聞いて余分な機能を全て捨て安価にすることにより某国でのシェアを0%から15%にのばした話も聞く。
仕事の観点でも本当に価値のある事をプラスするには引き算が必要だ。自分自身の仕事「働き方」を考えてみると今まで一番重要だと思い込んでいたものを引き算してみるのはいかがだろうか?案外全く新しい世界が目の前に開けるかもしれない

11+

自信をつけるために

(2015年6月号コラムより)

企業の人事部採用部長のお話を聞く機会があった。最近の面接で自分の考えをしっかり主張できるのは女子学生で、どうも男子は自信がなさそうな学生が多いそうだ。

「自信」を形成する過程には「外部準拠」と「内部準拠」がある。準拠は「よりどころ」という意。前者は(他人に言われたことをやる)→(できない)→(俺には才能がない、ダメな人間だ)と考える。後者は(自分でやりたいと思ったことを自分で目標設定し実行する)→(できない場合は自分で目標を修正する)→(100%成功する)→(このような小さな成功体験を積み上げていく)→自分に自信が持てるようになる。

一度しかない人生…自分で組み立てた方がおもしろいと思うが、いかがだろうか?

13+

俯瞰力(ふかんりょく)

(2017年1月号コラムより)

本年の十二支は酉(とり)である。ご存じのように、運気もお客様も取り込め商売繁盛に繋がる、いわゆる機が熟したタイミングである重要な年だという。そして、鳥から想像する言葉として「鳥の目、俯瞰の目」が思いつく。私どもの業界を俯瞰の目でみると、取り巻く環境は大きく変わってきている。

一方、今や企業の宝物である人材に目を向けてみると、入社3年目までの離職率は建設業で39%であり産業全体でも36%(平成25年3月卒実績)というデータにびっくりする。

その大切な人材を育てるにも2種類の俯瞰力が必要だという。

1つは「時の俯瞰力」である。その人にも歴史があり、その人の今は過去の積み重ねの上になりたっている。「今」から少し目を離して、過去と未来にも視線を向けてみることで、その人をうまく育てていくヒントが見えてくるかもしれない。

2つめは「場の俯瞰力」である。時の俯瞰力がその人の歴史を感じる力だとすると、「場の俯瞰力」は、その人が今いる環境を視野を広げて想像してみる。ドローンのように上方から眺めてみると、また違ったものが見えてくる。

業界の商流が変化し、モノの販売からコトの販売へ、消費者の選ぶ購入ルートが最強で正しい。そんな時である。カッと目を見開いて新年からスタートダッシュだ。

13+

本気

(2018年5月号コラムより)

最近はテレビの国会ショーでの与党、野党の発言や、ニュースキャスターの発言が、どうも背景にやらせ感、やらされ感の匂いがして、すっきりしない。真実はどう考えてもひとつであり、様々な方向から見た見解を述べているのであるが、発言している本人自身「本気」でそう考えているのか疑わしい。

そこで「本気」について考えてみた。ビジネスでは事業に携わる人の「本気度」が高くないと、いくらノウハウや知識、行動力があろうと目標の絶対達成は難しい。「自分なりに本気だ」と主張されれば、他者が客観的に本気度を測定するのはいささか難しい。

その人が本気かどうかは「自己投資にかけたコストの量」によって推し量ることが出来る。ひとつは、慣れ親しんだ習慣を変えるための面倒さ、億劫さを乗り越えるための労力、ストレスの総量である「精神的コスト」。次に、その物事を考える時間や背景などを調べるため必要となる「時間的コスト」である。

汗をかいた本気の姿が揶揄される時代でない事を祈るが、IT化によりマニュアル化された今の時代には、朴訥な一生懸命さが光る。

又「本気でやれば楽しくなる」「本気でやれば道が開ける」「本気でやれば必ず誰かが助けてくれる」の格言もある。

14+

ウソ

(2016年8月号コラムより)

最近、政治家でも芸能人でも「ウソ」が多い。「ウソ」にも色々レベルがあり、政治家の誰が見てもわかる明らかな「ウソ」には閉口、怒りすら覚えるが、「ウソ」も方便というたとえもある。テレビドラマにあったのだが、某国での「ウソ」の考え方が興味深い。

某国では、「ウソ」をつくことが悪いこととは教えられていない。某国の徳目の一つに「避諱(ひき)に行きつく」というのがある。これは隠すとか避けるとかいう意味であるが、国家や家族のために不利なことは事実を曲げてでも隠さねばならない、それが正しいという考え方である。身内の対面を汚すことはあってはならない。正直であるということは、この考え方の前では重要でなくなるわけである。国家にとって都合が悪いこと、不名誉なことは一切明らかにしてはならないという「倫理観」である。

こうしてみると最近の企業における「倫理観のぶれ」が散見されるなか、グローバルに考えると千差万別なんだと思い知らされる。

我々は、幼少の頃から「ウソをつくと雷さんにおへそをとられる」や「お天道様はすべてお見通し」など「正直者がバカを見ることはあってはならない」と教えられてきた。名探偵コナンのセリフではないが、「真実はひとつ」であってほしいし、その真実がねじ曲げられたり、隠ぺいされたりするのは心穏やかではない。真実(失敗=経験)を享受して、その反省をもとに次の成長に向かい徳を積むという倫理観を持ち続けたい。性善説はもはや死語なのだろうか。

11+

言霊(ことだま)

(2019年10月号コラムより)

私は東京に単身赴任ということもあり、比較的自由な時間が持て自分自身への投資に充てることが出来る。そのようなこともあり、すっかり朝の散歩がルーティンワークに入ってしまった。すでに5年は続けているだろうか。6時に起床し、部屋でラジオ体操をした後散歩へ。スタートは近所のお地蔵さんへのお参りから始まり、隅田川沿いをストレッチ含め約30分散歩し、朝の新鮮な空気を満喫した後、稲荷神社への参拝で終わる。お参りをサボると何か悪いことが起こりそうで、気の弱い私は雨の日でも傘をさしてお参りだけは行くようになっている。

その稲荷神社の手水舍(手を清める場所)で毎日、目にするのは「反省~威張る時には神に捨てられ、欲張る時には金に背かれ、妬む時には友を持ち得ず、怒る時には己を失うのだ」という言葉だ。神様の場所にかかれている言葉はどこか厳かで、書物やテレビ、SNSで見るものより重く感じる。

コトバは言霊(ことだま)とも言われ、その使い方ひとつで親友をなくしたり、誤解を招いたりする怖いものでもあるが、反面「ひとつの言葉」で局面が変わったり、救われたりする諸刃の剣のようなものである。政治家や有名人が失敗するのも普段思っていたことがついコトバに出てしまったり…まさに「語るに落ちる」である。

「明元素」「暗病反」言葉というものがあるが、私は出来るだけ「ありがとう、やってみよう、楽しい、うれしい、おもしろい、おいしい、ついてる…」などの「明元素」言葉を使い、自分の持つパワーが減らないようにしている。よく他人に「楽観的」と誤解される事もままあるが、「つたないレベルでも、やれることは、さぼらずにしっかりと準備し、知恵の少なさを補うため衆知を集め、自分で決断して前に進む」あとは、運を天にまかせ、ひたすら神頼みである。だから毎日の散歩が欠かせない。なあ私なりに日々必死で生きている(つもりである)

14+