(2016年8月号コラムより)
最近、政治家でも芸能人でも「ウソ」が多い。「ウソ」にも色々レベルがあり、政治家の誰が見てもわかる明らかな「ウソ」には閉口、怒りすら覚えるが、「ウソ」も方便というたとえもある。テレビドラマにあったのだが、某国での「ウソ」の考え方が興味深い。
某国では、「ウソ」をつくことが悪いこととは教えられていない。某国の徳目の一つに「避諱(ひき)に行きつく」というのがある。これは隠すとか避けるとかいう意味であるが、国家や家族のために不利なことは事実を曲げてでも隠さねばならない、それが正しいという考え方である。身内の対面を汚すことはあってはならない。正直であるということは、この考え方の前では重要でなくなるわけである。国家にとって都合が悪いこと、不名誉なことは一切明らかにしてはならないという「倫理観」である。
こうしてみると最近の企業における「倫理観のぶれ」が散見されるなか、グローバルに考えると千差万別なんだと思い知らされる。
我々は、幼少の頃から「ウソをつくと雷さんにおへそをとられる」や「お天道様はすべてお見通し」など「正直者がバカを見ることはあってはならない」と教えられてきた。名探偵コナンのセリフではないが、「真実はひとつ」であってほしいし、その真実がねじ曲げられたり、隠ぺいされたりするのは心穏やかではない。真実(失敗=経験)を享受して、その反省をもとに次の成長に向かい徳を積むという倫理観を持ち続けたい。性善説はもはや死語なのだろうか。