インターネットの功罪

(2019年3月コラムより)

平成の時代の終焉がいよいよ秒読みに入ってきた。その30年間の功罪で一番大きいのは「インターネットの世界」ではないだろうか。ちなみにその変遷を見てみると、、、
元年 東芝が世界初のノートパソコンを発売
7年 「Windows95」日本版が発売
(阪神大震災)
8年  検索サイト「ヤフージャパン」開始
11年  NTTドコモが「iモード」開始
12年 「アマゾン」日本版サービス開始
19年 「ユーチューブ」日本版サービス開始
20年 「iPhone」国内販売開始
(リーマンショック)
23年 (東日本大震災)
25年  AI(人工知能)がプロ将棋士を破る
30年 「LINE」の国内利用者が7800万人に
この30年で誰もが簡単に情報に触れ、自分の意見を発信できるようになった。今の電車の中の風景を誰が予想しただろう。便利になったということは、それだけ悪用されやすい側面を持つ。匿名でデマや中傷を書き込んだり、詐欺などの犯罪に使われたりする危険があるし、プライバシーをどう守るかという問題もある。昨年末、北川景子主演の映画「スマホを落としただけなのに」を見たが、他人事ではなく、ごく一般の人の身近におそろしい危険が常に付きまとっているといっても過言ではない。
今年の5月から新しい元号になるわけであるが、ネットの学会での「次の30年に必要なのは何?」という問いへの答えについて、インターネットの父と呼ばれる村井純教授のよれば、それは、、、、、、、「倫理観」だそうだ。

6+

「忖度」と「思いやり」

(2018年1月号コラムより)

2017年新語・流行語大賞の金賞に「忖度」が選ばれた。大辞林などで調べると「他人の心をおしはかること。また、おしはかって相手に配慮すること」とある。更にこのコトバの起源を調べると中国で西暦210年に書かれた「述志令」に見られるのが初とされ、中華圏では「人の考えを推し量り自分が不利益を被らないようにする保身的行為」という意味で深く根付いているという。

前者の解釈でいけば、「他人の心をおしはかる」ことは、営業マンとしてある意味必須の能力である。営業に出たての頃教えられた「お客様に対しての気くばり、目くばり、心くばり」や「その商品を使う人の立場になれ」を思い出す。気配りの先が外向き(社外、得意先)か、内向き(社内、上司)かの違いは大きいし、社内での行き過ぎた忖度は会社の経営判断をずらせてしまう危険性がある。はじめて聞いたときは「外国人にはない日本文化特有の奥ゆかしさ、思いやり」の香りもあったが、政治やマスコミの道具にされて、どうやら吹っ飛んでしまったようである。

政治家ではないが、コトバの恐ろしさはテレビの中だけではない。日常でも一歩間違えると築きあげた人間関係をいともあっさりと壊してしまう。コトバだけひとり歩きしないように、面と向き合った(表情のわかる)密なコミュニケーションが誤解を防ぐ手段だと思う。どうも最近の風潮として自分に負担のかかる面倒な面談をさけて、効率という逃げ道のもとに文字だけのやりとりが増え、本当の繊細な思いを伝える場面(面談コミュニケーション)の絶対量が減ってきている気がする。

新しい年は、人間にしか持つことのできない「思いやり」のあふれる1年であってほしいものである。

10+

白か黒か

(2018年8月号コラムより)

コンピュータの世界はゼロ(0)とイチ(1)の配列で構成されている。そのせいというのはこじ付けかもしれないが、最近は白か黒かどちらかにしないと気が済まないという風潮である。
政治の世界(今や大衆芸能化ナイズされている?)や芸能、マスコミの世界でもウソや浮気、ハラスメントなど自分たちの都合のいいように、一部分を切り取った情報で白だ黒だと騒いでいる。これでは、透明度が上り真実に近くなったとは言い切れない。
一方、スポーツの世界でも ワールドカップのサッカーで導入されたVAR判定(ビデオ・アシスタント・レフリー)(すでにテニス、バレー、野球のチャレンジでもお馴染みだが)審判が試合の流れを止めて機械判定。これではいずれ審判も必要なくなる。
かつて、江夏のような名投手が打者だけでなく、審判とも駆け引きをしたというような味わいもなくなる。グレー部分の妙味もあるし、だいたい白黒の判断基準は本来個人差があってしかるべきもの。だからかえって面白い。又必要悪もあるし、ウソも方便というようなコトバもある。
私は関西の出身であるが、「まあそのへんにしとき! 次行こ!」でないと大事な事までたどり着かない。

13+

日野原重明名誉院長のことば

(2018年2月号コラムより)

築地のすぐ近くにある「聖路加国際病院」の名誉院長であり、昨年105歳で亡くなった日野原重明氏の「いのちの使いかた」という本に出会った。氏はオウム真理教によるサリン事件の時に一般患者の診療を急遽中止して640名の患者の対応をしたことや、生活習慣病という言葉をつくり、完全独立型ホスピスを日本で初めてつくった事などで有名である。又、58歳の時に「よど号」ハイジャック事件の人質から生還した後、「命という与えられた時間を困っている誰かのために捧げるのが人としての使命」と、小学校で226回の「いのちの授業」を開講し伝えていくということをした。

そして、氏が病床にて最後に伝えた言葉がふたつある。ひとつめはエンカウンター(出会い)であり、それは自分を成長させる糧であるということ、そしてふたつめはキープオンゴーイング(全身し続ける)ことの大切さである。文字通り生涯現役を貫き全身し続けた実践の人であった。

働くということは、与えられた命(時間)を人様のためにつかうことである…60歳を迎える年の始めに「天秤にかけると、まだまだ奉仕の時間が足りない」と再度スタートラインにつくための素晴らしい出会い(プレゼント)を頂いた。

13+

限界を超えよう

(2020年1月号コラムより)

新年を迎えるにあたり、人間の限界について考える機会があった。新年会でのメーカー様のお話であるが、最近特に気になるのは、若い人に仕事の指示をしたときに、その場で「その指示が自分にできるかどうか」を判断して、難しそうな顔をする場面が見受けられるとのことである。時にはやってもいないのに「できません」という否定的な答えがすぐに帰ってくる事もあるという。上司もその人なら出来ると期待して指示をするのであり、ひと昔前なら指示された仕事はとりあえず「はいわかりました」と受けて、悩みながら、周囲の人に相談、先輩に教示を受けながら結果を出してきた。
思うに、おそらくスマホを筆頭とする大量の情報の中に答えを探し、できるかできないかの判断材料としているのではないか。ある意味、あふれる情報の中で答えを探す習慣がついており、それが仕事という自分の成長の場でも自分を制限してしまっている。
しかしこれでは、その情報の提供者以上の成長は望めない。かつて私が営業マンであったころ、お得意先様の社長室に飾ってあった駒にこうかかれてあった。「できないという前に、できる方法を考えよう」いまに思えば、その駒の威圧で、どうも某社長のお願いは、いつも断れなかった気がする(笑) しかし思えばこれは名言で、その後の私の人生訓としてしっかり残っている。
心理学的には、人間の顕在能力はわずか5%で まだ95%の潜在能力を持っているという。真偽の不明なスマホの情報で判断し、自身の顕在能力の範囲内で物事を判断し、まだ20倍もある潜在能力を封印したまま人生を送るのは もったいないと思う。年末に日本中に感動を与えたラグビーもそうだが、スポーツ界での一人者は皆、自分の限界に常に挑戦し続けている。限界は目に見えるものではなく目には見えないものだと思う。

15+

断捨離

(2019年1月号コラムより)

平成を終え、新しい元号に変わるのをきっかけに「断捨離」なるものを実行してみようと思う。「断捨離」とは、「もったいない」という固定観念に凝り固まってしまった心を、ヨガの行法である断行・捨行・離行を応用したもので、
断:入ってくるいらない物を断つ
捨:家にあるずっといらない物を捨てる。
離:物への執着から離れる。
として自分自身で作り出している重荷からの解放を図り、身軽で快適な生活と人生を手に入れることが目的である。執着を捨てて不要な物を捨てねば新しいものの入るスペースがない。これはタンスの中でも頭の中でも同じだろう。まだ使える、まだ価値があると物を主体とする考え方ではなく、「自分にとって必要な物なのか?」と自分が主体となることが肝要だ。そして「断捨離」は「今」を起点とする「今の自分」に対し「今あるもの」が必要か否かを自分自身に問うことにより、「こだわり」を除き、本質的に大切なことを浮き彫りにしてくれる。
昨今は、物だけでなく、情報が氾濫し、インターネットですぐ検索できる便利な時代ではあるが、その情報の正否の判断作業が不可欠で、作為的に取り繕ったものもあり、侵入という魔の手もすぐ近くにきている。
膨大な情報量が入り乱れている現在、ともすると「ながら」の行為=同時処理で、頭が整理できず、優先順位が混乱し、ストレスもたまっていく。仕事をやっているようだが、中身は薄く、結果として何も残らない。
今年は、1つ1つ丁寧に集中して事に当たり、小さなものでいいので、地に足をつけて、結果を着実に積み上げていく年にしたいものである。

13+

引き算の効用

(2018年9月号コラムより)

7月号で掛け算のワクワク感についてコラムを書いたが、今回は引き算のご提案である。商売には足し算の商習慣が従来より多くあり、無料配送、景品付き、据付け無料などのサービスが次々と付加され、サービス合戦を招く結果となっている。
一方発想を引き算に変えて売れている事例も出てきている。例えばビールからアルコール分を抜いたノンアルコールビール。ビールから色をなくした透明ビール。焼きの行程を省いた生醤油。早く運ぶことをやめ、遅く運ぶことで別の価値を見出したJR九州のななつ星列車。さらに某メーカーのクーラーは現地のニーズを聞いて余分な機能を全て捨て安価にすることにより某国でのシェアを0%から15%にのばした話も聞く。
仕事の観点でも本当に価値のある事をプラスするには引き算が必要だ。自分自身の仕事「働き方」を考えてみると今まで一番重要だと思い込んでいたものを引き算してみるのはいかがだろうか?案外全く新しい世界が目の前に開けるかもしれない

11+

自信をつけるために

(2015年6月号コラムより)

企業の人事部採用部長のお話を聞く機会があった。最近の面接で自分の考えをしっかり主張できるのは女子学生で、どうも男子は自信がなさそうな学生が多いそうだ。

「自信」を形成する過程には「外部準拠」と「内部準拠」がある。準拠は「よりどころ」という意。前者は(他人に言われたことをやる)→(できない)→(俺には才能がない、ダメな人間だ)と考える。後者は(自分でやりたいと思ったことを自分で目標設定し実行する)→(できない場合は自分で目標を修正する)→(100%成功する)→(このような小さな成功体験を積み上げていく)→自分に自信が持てるようになる。

一度しかない人生…自分で組み立てた方がおもしろいと思うが、いかがだろうか?

13+

俯瞰力(ふかんりょく)

(2017年1月号コラムより)

本年の十二支は酉(とり)である。ご存じのように、運気もお客様も取り込め商売繁盛に繋がる、いわゆる機が熟したタイミングである重要な年だという。そして、鳥から想像する言葉として「鳥の目、俯瞰の目」が思いつく。私どもの業界を俯瞰の目でみると、取り巻く環境は大きく変わってきている。

一方、今や企業の宝物である人材に目を向けてみると、入社3年目までの離職率は建設業で39%であり産業全体でも36%(平成25年3月卒実績)というデータにびっくりする。

その大切な人材を育てるにも2種類の俯瞰力が必要だという。

1つは「時の俯瞰力」である。その人にも歴史があり、その人の今は過去の積み重ねの上になりたっている。「今」から少し目を離して、過去と未来にも視線を向けてみることで、その人をうまく育てていくヒントが見えてくるかもしれない。

2つめは「場の俯瞰力」である。時の俯瞰力がその人の歴史を感じる力だとすると、「場の俯瞰力」は、その人が今いる環境を視野を広げて想像してみる。ドローンのように上方から眺めてみると、また違ったものが見えてくる。

業界の商流が変化し、モノの販売からコトの販売へ、消費者の選ぶ購入ルートが最強で正しい。そんな時である。カッと目を見開いて新年からスタートダッシュだ。

13+

本気

(2018年5月号コラムより)

最近はテレビの国会ショーでの与党、野党の発言や、ニュースキャスターの発言が、どうも背景にやらせ感、やらされ感の匂いがして、すっきりしない。真実はどう考えてもひとつであり、様々な方向から見た見解を述べているのであるが、発言している本人自身「本気」でそう考えているのか疑わしい。

そこで「本気」について考えてみた。ビジネスでは事業に携わる人の「本気度」が高くないと、いくらノウハウや知識、行動力があろうと目標の絶対達成は難しい。「自分なりに本気だ」と主張されれば、他者が客観的に本気度を測定するのはいささか難しい。

その人が本気かどうかは「自己投資にかけたコストの量」によって推し量ることが出来る。ひとつは、慣れ親しんだ習慣を変えるための面倒さ、億劫さを乗り越えるための労力、ストレスの総量である「精神的コスト」。次に、その物事を考える時間や背景などを調べるため必要となる「時間的コスト」である。

汗をかいた本気の姿が揶揄される時代でない事を祈るが、IT化によりマニュアル化された今の時代には、朴訥な一生懸命さが光る。

又「本気でやれば楽しくなる」「本気でやれば道が開ける」「本気でやれば必ず誰かが助けてくれる」の格言もある。

14+