ラグビーワールドカップ

(2019年12月号コラム)

日本中を湧かせたラグビーワールドカップが南アフリカ共和国の優勝で幕を閉じた。期間中に台風19号の被害もあったが、海外各国に日本人の気質、日本文化の良さをPR出来たし、何よりも日本人自身が本来持つ大切なものを再度思い起こし熱くさせるものがあった。大会前のTVドラマ「ノーサイド・ゲーム」という布石もよかったし、事前の予想以上に日本国内が盛り上がった。

「ONE FOR ALL , ALL FOR ONE 」や「ノーサイドの精神」、ラグビー憲章に謳われている「品位、情熱、結束、規律、尊重」は忘れかけそうになっている大切なものを思い出させてくれた。笑わない男、医者になる男、日本人以上に日本人らしさを兼ね備えた外国人のリーダーとメンバー、多様性の完成形を象徴するようなメンバーで、そのどれもが魅力的であった。

にわかファンでもいい、なんとなく安きに入ってしまう風潮を感じる現在であるが、ラグビーが終わっても、その時に感じた気持ちを忘れずに持ち続けてほしい。おそらくそれが、日常のすべてを犠牲にして練習に取り組み、大男たちの中に骨の1本2本は折れてもかまわないと突っ込んでいく彼らの勇気に対してのせめてものお礼、お返しだと思う。

2+

販売のパイを広げるには 新しい仕入れ先を増やす

(ニューウェイブ誌2020年12月号 コラムより)
千葉県の大型展示会場・幕張メッセで9月に「総務・人事・経理Week」、「オフィスセキュリティEXPO」「オフィス防災EXPO」「働き方改革EXPO」展示会、10月に「通信・放送Week」「5G/IoT通信展」「4K・8K映像技術展」「Japan IT Week」「クラウド業務改革EXPO」「情報セキュリティEXPO」展示会がリアル開催された。     もちろん、マスク・消毒・検温のコロナ感染対策は徹底されており、出店数は80%くらいで展示スペースには、すき間も少しあり、最終日であったが入場者も例年の80%くらいであった。例年と風景が異なるのが、机と椅子が並んだリモート用のスペースが設置されていること。かなりの人数がそこでパソコンをたたいていた。参加企業のパンフレットをみたが、私の勉強不足もあって、そこには聞いた事のない企業ばかり。今や世間の関心第一のテーマがずらりと並ぶ展示会の出展企業とお付き合いが無いのはいかがなものかと感じる。
苦手な横文字、専門用語くらいは勉強して、これらの出展企業と情報交換する必要性を感じた。我々には彼らが一番欲しがる販売ルートがあるのだから、それを生かすべきだと思う。共創する道はあるはずだしせねば時代に遅れるような気がする。このような分野に出ていき新しい仕入れ先を増やさねば、販売のパイは縮小していくばかりではないだろうか。

3+

モノ売りからコト売りへ

(ニューウェイブ誌2018年3月号コラムにて)

経済産業省は我が国産業が目指す姿としてコネクティッドインダストリー(様々なつながりにより新たな付加価値が創出される産業社会)を提唱している。デジタル化が進展する中、我が国の強みである高い「技術力」や高度な「現場力」を活かした、ソリューション志向の新たな産業社会の構築を目指すとの内容である。今や我々の業界のみならず「モノ売りからコト売りへ」は産業界の常識となっている。コネクティッド(つながり)が今後の成長の必須要件であるなら、そのつながりの中で主導権をとることが必要である。喩が悪いが家庭のなかでも主導権を持ってる方が自由度は高いし金も使える。

「モノ売り」はインターネットがお得意な分野であるが、「コト売り」のようなユーザーの希望を踏まえた提案や気持ちを察した提案は人間しかできないし、我々卸業が今後生き残る戦略の柱となる。メーカーの最先端の商品をアッセンブルして、最大効果、最大満足をユーザーに与えられるのは卸業に一日の長がある。加えて「地域密着」で生涯ユーザーとのご縁を最大限にいかし、安心を与えられるのも強みである。「コト売り」と「地域密着」を武器として、スマートパワーネットワークの旗印のもと電気の安全性・利便性を訴求し、築きあげてきたノウハウの蓄積を使っていくことが主導権をつかむ為の王道であろう。

2+

ラグビーワールドカップ

ニューウェイブ誌2019年12月号
私は東京に単身赴任ということもあり、比較的自由な時間が持て自分自身への投資に充てることが出来る。そのようなこともあり、すっかり朝の散歩がルーティンワークに入ってしまった。すでに5年は続けているだろうか。6時に起床し、部屋でラジオ体操をした後散歩へ。スタートは近所のお地蔵さんへのお参りから始まり、隅田川沿いをストレッチ含め約30分散歩し、朝の新鮮な空気を満喫した後、稲荷神社への参拝でおわる。お参りをさぼると何か悪いことが起こりそうで、気の弱い私は雨の日でも傘をさしてお参りだけは行くようになっている。
 その稲荷神社の手水舎(手を清める場所)で毎日、目にするのは「反省~威張る時には神に捨てられ、欲張る時には金に背かれ、妬むときには友を持ち得ず、怒るときには己を失うのだ」という言葉だ。神様の場所にかかれている言葉は どこか厳かで、書物やテレビ、SNSで見るものより重く感じる。
 コトバは言霊(ことだま)とも言われるが、その使い方ひとつで親友をなくしたり、誤解を招いたりする怖いものでもあるが、反面「ひとつの言葉」で局面が変わったり、救われたりする諸刃の剣のようなものである。政治家や有名人が失敗するのも 普段思っていたことがついコトバに出てしまったり、、、まさに「語るに落ちる」である。
 「明元素」「暗病反」言葉というものがあるが、私は、できるだけ「ありがとう、やってみよう、楽しい、うれしい、おもしろい、おいしい、ついてる…」などの「明元素」言葉を使い、自分の持つパワーが減らないようにしている。よく他人に「楽観的」と誤解される事もままあるが、「つたないレベルでも、やれることは、さぼらずにしっかりと準備し、知恵の少なさを補うため衆知を集め、決断して前に進む」あとは、運を天にまかせ、ひたすら神頼みである。だから毎日の散歩が欠かせない。まあ私なりに日々必死に生きている(つもりである)

3+

オンライン飲み会 初体験 

(ミューウェイブ誌 2020年6月号コラムより)
コロナ自粛でスマホの小さな画面で映画ばかり見るのも疲れ、誰かと話をしてストレス解消したいタイミングであった去る4月の土曜日に、「オンライン飲み会」なるもののお誘いがかかり、新しいもの好きな私は、飛びついて参加した。
 参加の方法も研究(ユーチューブで説明を見れば簡単にわかる)、7人で集合し、飲み会がスタート。リアルと同じ乾杯。参加者のうち3人が初めての経験だったが、いろいろな話題やユーチューブの演奏を使ったカラオケなどで楽しい時間を過ごすことが出来た。
中華でも焼き鳥でも日本料理でもイタリアンでも自分が食べたいものを用意すればいいし、無理やり酒をつがれることもなく自分のペースで飲めるなど、適度な人間関係の距離感や自由度を保てるのがいい。さらに自由に出入りできるし、途中で風呂にも入れる、帰りの電車の心配もない。
 オンラインにはリアルと違ったルール、マナーが新たに発生する。
・音声が重ならないように自分が発言する時はミュートを解除し、聞き役に回る時はミュートする
・相づちは声を出さず、大きくうなずくジェスチャーで答える
・パソコンを少し上げて、目線をカメラと同じ高さにして、上から目線にならないようにする
・逆光に注意し写りが暗くならないようにし、覗かれないように背景にも気を配る
・挙手や満面の笑みで答える等々
時代についていくが必要あるし、これから先10年後、20年後を担う学生たちは小さい時から授業をこれで受けて、これらが標準スタンダードになっているだろう。しかし、ただ単に安きに走るのではなく、リアルとWEBの良い点、悪い点をしっかりと掴み、使い方を間違えないようにしたい。

3+

リモートの賛否

(ニューウェイブ誌2020年10月号)
 政府が進めているデジタルトランスフォーメーション(DX)は、進め方を間違えると、対面が減り、活力を失う危険性があるとの見方がある。現在急速に普及しているテレワークを例にするとわかりやすい。
ここ数ヶ月試行錯誤で実施したリモートに触れて、ようやくなんとなくわかってきたた点がある。事務処理や情報伝達、知識の習得はリモートでも可能であるが、議論を戦わせて1つの結論を得るとか、難しい交渉の中で、双方ギリギリの着地点を探るとなると、リモートでは難しい。商売の勝ち負けも、そのような難しい場面で決まるものだと思う。又、偶発的に生まれるプラスαのアイデアは、直接会えばこそ生まれるものであろう。
 コロナを克服したら、「非接触」にぶれている軸を早期に「接触型」に適宜戻す必要がある。利点と弱点を正確に把握し、使い分けが必要だ。一時の流行で本社をなくしてしまうなどの極端な行動は危険だと思う。生産性をあげるという目的が主であるならば、行動内容や時間を加味して管理されていた制度から、成果、数字でしか判断のしようがないリモートへの移行について、評価の厳しさが増すことへの言及が後回しになっている感がする。(うがった見方をすれば、数字の出せない社員は不要という結論があっさりと出てしまう危険性がある)
色相の中に補色というものがある。反対色にあたる補色とあえて組みあわせることにより、より引き立つ美色になるという。リモート一色ではなく、絶えず反対色を意識しながらことをすすめるべきだと思う。

4+

コロナ禍での心の距離

(ニューウェイブ2020年8月号 コラムより)
プロ野球が6月19日から始まり、観客は7月10日から。サッカーJリーグは7月4日から再開し、ディズニーランドは7月1日から、ユニバーサルスタジオは6月8日から開園。娯楽を代表するスポーツ、テーマパークが次々と解放される。又イベントでは国内最大級の展示会主催リードジャパンは東京ビックサイト、幕張メッセでの超大規模展示会について、政府および全国自治体よりの緊急事態宣言の解除を受けて、8月以降予定通り開催される。娯楽関係は慎重に段階を踏んでの再開であるが、ビジネスや夜の解放感は一気に再開の感があり、少し嫌な感じである。
さらにこの原稿を書いている7月8日時点では、東京都での感染者が連日100名を超え、再び自粛に向かう可能性もあり予断が許されない。
ソーシャルディスタンスという新しいコトバが街に溢れ、一定の距離を置く事が望ましい風潮になっている。よく似た言葉にパーソナルスペースというものがあり、15㎝前後の密接距離から5m前後の公共距離まである(そういえば妻とは年々無意識のうちに距離が離れ、気づけば公共距離をキープしている気がするのは私だけだろうか(笑))
物質的な人と人との距離を取らねばならない今だからこそ 様々な形での「心の距離」を近づけていくことが不可欠だと思う。それを埋めるのにパッと思いつくのはITの産物であるSNSの活用。私を含め世の中のおじさん達にとっては、不得意な分野である。

4+

しあわせの国ブータン

(ニューウェイブ誌2016年11月号コラムより)

今夏の英国のEU離脱や直近のシリア情勢、北朝鮮、中国の動向など、世界の国々のリーダーは、アメリカのトランプ氏が象徴的であるが、自国の利益やナショナリズムに走っている兆候が見受けられる。調和などという言葉は最近ほとんど聞かなくなり、外交という大義名分の陣どり合戦が活発化して、自国が一番という危険な思想が蔓延してきているようで恐ろしい。個人に置き換えても電車の中の風景など見ていると、スマホの占領により他へ働きかける時間が減少し、内側に閉じこもる時間が増えて益々自閉的になっている。

過日上野公園を訪れた折、ブータンの記念事業が開催されていたので入ってみた。「しあわせに生きるためのヒント」「見るだけでしあわせになれるかも」というポスターのコピーにつられたのである。

私が感銘を受けた言葉を一部ご紹介させていただくと、「ゆっくり歩けばロバでもラサまで行ける」「他人のやった行いで悟りは開けない」「人生において永遠に続くものは何もないのです」「しあわせとは自分の持っているものを喜ぶことです」「自分のしあわせは 人の向こうにある」そして子供たちの言葉「皆のために祈るのがうれしい」「親の手伝いが出来てうれしい」

たしかに画像に映るブータンのお年寄り、子供たちの表情が素晴らしい。皆一様ににこやかで微笑んでおりで、かまえるところがなく、すべてを許すというオーラ、余裕がある。

「他者のしあわせを何よりも優先する」これがしあわせの秘訣という。ならば現在の自分が一番、自分だけ自分だけというこのご時世は、、、しあわせとはまるで逆の方へ直走っているのだろうか?

4+

毎朝の散歩

ニューウェイブ誌2019年10月号
私は東京に単身赴任ということもあり、比較的自由な時間が持て自分自身への投資に充てることが出来る。そのようなこともあり、すっかり朝の散歩がルーティンワークに入ってしまった。すでに5年は続けているだろうか。6時に起床し、部屋でラジオ体操をした後散歩へ。スタートは近所のお地蔵さんへのお参りから始まり、隅田川沿いをストレッチ含め約30分散歩し、朝の新鮮な空気を満喫した後、稲荷神社への参拝でおわる。お参りをさぼると何か悪いことが起こりそうで、気の弱い私は雨の日でも傘をさしてお参りだけは行くようになっている。
 その稲荷神社の手水舎(手を清める場所)で毎日、目にするのは「反省~威張る時には神に捨てられ、欲張る時には金に背かれ、妬むときには友を持ち得ず、怒るときには己を失うのだ」という言葉だ。神様の場所にかかれている言葉は どこか厳かで、書物やテレビ、SNSで見るものより重く感じる。
 コトバは言霊(ことだま)とも言われるが、その使い方ひとつで親友をなくしたり、誤解を招いたりする怖いものでもあるが、反面「ひとつの言葉」で局面が変わったり、救われたりする諸刃の剣のようなものである。政治家や有名人が失敗するのも 普段思っていたことがついコトバに出てしまったり、、、まさに「語るに落ちる」である。
 「明元素」「暗病反」言葉というものがあるが、私は、できるだけ「ありがとう、やってみよう、楽しい、うれしい、おもしろい、おいしい、ついてる…」などの「明元素」言葉を使い、自分の持つパワーが減らないようにしている。よく他人に「楽観的」と誤解される事もままあるが、「つたないレベルでも、やれることは、さぼらずにしっかりと準備し、知恵の少なさを補うため衆知を集め、決断して前に進む」あとは、運を天にまかせ、ひたすら神頼みである。だから毎日の散歩が欠かせない。まあ私なりに日々必死に生きている(つもりである)

4+

逆転勝ち

(ニューウェイブ誌2016年10月号 コラムより)

今夏のリオ・オリンピックは金12、銀8、銅21、合計41個のメダル獲得という大躍進でおおいに楽しませてもらったが、レスリングの3連続逆転金メダル、バトミントン、体操、柔道、卓球など数多くの試合で感動の逆転勝ちが目立った。終盤に「やっぱりダメか」とあきらめたかけた場面が幾度もあったが、いつからこんなに日本人は粘り強くなったのだろうか。そういえば25年ぶり優勝の広島カープも75勝のうち40勝(8月末現在)が逆転勝ちである。

高校野球を始めスポーツの世界では 逆転勝ちがハッキリと目に見える。商売も食うか食われるか、勝つか負けるかで判定される厳しい世界であるが、いかんせん今この時、勝っているのか、負けているのかが見えにくい。又敵が誰かを判別する目もむずかしい。照明器具の敵は内装屋(カーテン)さんという見方もある(ユーザーの予算観点から見て)

逆転の心理を調べてみる。言い古された言葉だが「野球はツーアウトから」「諦めたらそこで試合終了」「守りに入ってしまった」「浮足立ってしまった」等、又一方まさにリオはこれに当てはまると思うが「逆転勝ちの連鎖」などがある。「私も逆転勝ちできるかも知れない」というプラス心理である。

そして最近のスポーツでは昔からの筋肉トレーニングだけでなく、メンタルトレーニングを取り入れ想定できる場面をイメージして練習し、その時生まれる心理状態への耐性をつくるという。勝ちたいという強い気持ち、だれにも負けない練習を積んだという自負に科学の力が加わっての逆転勝ちである。

3+