(ニューウェイブ誌 2021年6月号コラムにて)
先日、昼食から事務局へ戻る途中、自転車に乗った中年の女性が猛スピードを出して後ろから私と接触し、そのまま振り返りもせず行ってしまった。さすがに「ムカッ」ときたが、自転車にはナンバープレートもなく、追いかける走力もない私は只々立ち尽くすだけであった。当たる瞬間反射的に手を引いたので軽い接触で済んだのだが、こんなことなら手を引かずに思いっきり当たってやればよかったなどと考える自分がいた。
最近、特にSNSでは顕著であるが、いわゆる「匿名」の暴力が蔓延している。自分の身元が知れなければ、何をやってもいい。仕返しが来ないので、やったもの勝ち。誠に卑怯、卑劣な事であり、正々堂々と自分の名を証して、言いたいことをいうべきである。戦国時代などは、武士は戦う前に「やあやあ我こそは!」と名乗り合ってから戦ったという。
先日ある記事にいいことが書いてあった。保育園の給食調理員に採用された女性が、子供二人の風邪で3日間休んだ。猫の手も借りたいくらい忙しい職場で、出社したはいいが申し訳なさもあり気の重い時間を過ごしていた時、50代のベテラン女性が言った。「子供が小さいと、急な休みもあるだろ」「どうもすみません」「いいんだよ、あたしだって、娘が小さいときは、やれ水疱瘡だ、おたふくだって、何度も休んだから。だから、順繰り」
「順繰り?」「そうだよ、いつかあんたの子どもに手がかからなくなった時に 同僚に子育てで手一杯の人がいたら、あんたが協力してやりなってことだよ」「はい」涙が止まらなかった。
「順繰り、順繰り」その言葉を繰り返して私は、自転車のオバハンを許すことにした。
「きっと、その先で転んでいるだろう」「きっと自分が歩いているときに自転車にぶつかられるだろう」
相当レベルの異なる話ではあるが、私は「神様は全てお見通し」という言葉が好きだ。しかし一方で、俗人の私は「しっぺ返し」「いい気味」という言葉も好きだ。歩きスマホの人が前から向かって来るとぶつかってやろうと思うこともある。どうも天国には行けそうもない。
順繰り
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