(2019年10月号コラムより)
私は東京に単身赴任ということもあり、比較的自由な時間が持て自分自身への投資に充てることが出来る。そのようなこともあり、すっかり朝の散歩がルーティンワークに入ってしまった。すでに5年は続けているだろうか。6時に起床し、部屋でラジオ体操をした後散歩へ。スタートは近所のお地蔵さんへのお参りから始まり、隅田川沿いをストレッチ含め約30分散歩し、朝の新鮮な空気を満喫した後、稲荷神社への参拝で終わる。お参りをサボると何か悪いことが起こりそうで、気の弱い私は雨の日でも傘をさしてお参りだけは行くようになっている。
その稲荷神社の手水舍(手を清める場所)で毎日、目にするのは「反省~威張る時には神に捨てられ、欲張る時には金に背かれ、妬む時には友を持ち得ず、怒る時には己を失うのだ」という言葉だ。神様の場所にかかれている言葉はどこか厳かで、書物やテレビ、SNSで見るものより重く感じる。
コトバは言霊(ことだま)とも言われ、その使い方ひとつで親友をなくしたり、誤解を招いたりする怖いものでもあるが、反面「ひとつの言葉」で局面が変わったり、救われたりする諸刃の剣のようなものである。政治家や有名人が失敗するのも普段思っていたことがついコトバに出てしまったり…まさに「語るに落ちる」である。
「明元素」「暗病反」言葉というものがあるが、私は出来るだけ「ありがとう、やってみよう、楽しい、うれしい、おもしろい、おいしい、ついてる…」などの「明元素」言葉を使い、自分の持つパワーが減らないようにしている。よく他人に「楽観的」と誤解される事もままあるが、「つたないレベルでも、やれることは、さぼらずにしっかりと準備し、知恵の少なさを補うため衆知を集め、自分で決断して前に進む」あとは、運を天にまかせ、ひたすら神頼みである。だから毎日の散歩が欠かせない。なあ私なりに日々必死で生きている(つもりである)