(ニューウェイブ誌2021年10月号コラムより)
「自己責任」について考えることがある。有名人の不祥事や政治家の説明に、どうも責任転嫁や責任をとらなくていいように「のらりくらり」と時間稼ぎをして逃げる態度がよく目につく。記者会見の質問にワザと真正面から答えない政治家、不祥事やミスに対し、それを認めずに他人のせいにしてしまう有名人。軽々しく何でもかんでも「私の責任です」と言ってしまうのも考えものだが、明らかに責任の一端はあるはずと思われる場面で「とぼける」のはいかがなものか。
一時の飲食偽装事件等のように、たくさんのカメラの前で一列にならび、長い間頭を下げる風景は最近ご無沙汰で、不祥事の際、しっかり説明責任を果たさず、「他人のせいにして、SNSでたたかれ炎上し、人々の関心が薄くなれば(別の炎上物件が出てきたら)無罪放免」が目立つ。
新型コロナの対応でも「あなた任せ」の対応が目立ち、責任をとりたくないからお願いをして、最後は自主判断で これでは対応とは呼べない。
また記者会見での抽象的な「努力します。前向きに、全力で 迅速に…」など単語のひとつひとつは格好いいが、具体的に何をしたいのかを発言しないので聞いている人もわからず今や逆効果になっている。これでは発表ではないし、その原稿をつくっている取り巻きをも疑ってしまう。具体的な対策や決断、意思を知りたいのである。新入社員の時 「5W1H」で説明せよと良く指導されたが、為政者は是非とも国民の範となる姿勢で仕事をしてもらいたい
会社では大きなものから小さなものまで社員のミスは最終的にすべて社長が責任を負うことになる。その覚悟で日々必死に経営をしている中小企業420万社の社長たちが、自身のミスは他人に振り、また出来るだけ責任をとらなくていい発言しかしないような国のトップやその取り巻きには誰もついていくはずがないし、もういいかげん辟易としている。
緊急自粛宣言下で、毎日のようにオリンピックを視聴し、選手たちが結果の全てを潔く全身で受け止める姿を見て、思わず愚痴をこぼしたくなった。
自己責任
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