(ニューウェイブ誌2017年11月号コラムより)
ここ数日、眼の奥が痛むので眼医者へ行ったところパソコン、スマホの見過ぎによる疲労だという。確かに身に覚えがある。基本的に事務局内では、ほとんどの時間パソコンに向かっているし、仕事が終わったら終わったでついついスマホいじりをして寝床にまで持って行ってしまう。まあ中毒一歩手前である。
昨今は操作も簡単になり、スマホに向かって一言声を出せば回答が出てくる。英語の変換もやってくれ分厚い辞書もいらないし、ご丁寧に発音までもしてくれる。
だから覚えることをしなくなったし、深く考えることをしなくなった。深く考える前に類似の事例を検索し答えを見つけて(その答えが正しいか否かも考えず)処理としてしまう。聞くところによると 平均的労働者は労働時間の60%をコンピュータによるコミュニケーションとインターネットの検索に使い 30%をメールに費やしているそうだ。そしてこの90%の仕事らしきものは、知的要素を必要としない補助的な仕事であり注意散漫な状態でなされることが多い。こうした作業は新しい価値を生み出さず、誰にでも(将来的にはロボットにでも!)容易に再現することができる仕事が多い。少なくともあなたでしか出来ない仕事ではない。
たしかに前述の生活を続けていると何か自分の思考で生きている実感がすくなく、ただただ時間を浪費しているだけで、生き生きと時を過ごしている実感が湧かない。そういえば生きている実感のある場面と言えば テニス、野球、ゴルフ、登山、釣りなどの身体を動かした後や、酒場で仲間と一杯やって大騒ぎをした後だったり、いずれもコンピュータとは離れた世界だ。
働き方改革につうじるかどうかはわからないが、スマホ等に振り回されないように、メールを見る時間を固定し、コンピュータの見る時間を半減するなどして、上司や先輩から学びとる時間にあてたり、集中して深く考える時間にあてたりしてはどうだろうか?
コンピュータに向かう時間が全て無駄とは言わないが、いずれロボットでも出来る仕事だと思えば、ロボットに出来ない仕事に比重を置いてはどうだろうか?