練習と本番

(2015年10月号コラムより)

今年の夏休みは久しぶりに実家でゆっくりさせてもらい出かけることも少なく久しぶりに高校野球をじっくり見た。誕生から100年の記念大会ということだけではないだろうが 記録的な連日の猛暑の中 早稲田実業の清宮君フィーバーだけではありえない満員の観客動員に正直驚いた。一球の白球を追うという極めてアナログなスポーツにこんなに関心があつまるなんて、古い人間かもしれないが幕張メッセで開催されるアニメ展示会の満員にくらべ 日本も捨てたものではないと なんとなく落ち着く気がしてしまうのは私だけであろうか。

さらに このコラムを書いている時期に私は女子バレーにも感動している。まだ今時点では途中なので最終結果はわからないが 平均身長が10cm近く差があるなかで とにかく彼女たちは頑張っている。ロシア戦、セルビア戦とフルセットまで行き惜しい試合を落としたが 最後まで食らいつく姿はスポーツのひたむきさを感じさせた。第5セットでの彼女たちの精神状態はいかなるものであろうか。ほんの1cmずれるだけで トスもレシーブもスパイクもミスとなる。それがこの極限状態でも狂わない、しっかり出来るのはなぜか?私なりに考えてみた。

おそらくこの2時間余りの試合のために彼女たちが費やす膨大な練習時間が その「根っこ」になっているのだろう。

そういえば 今社会人として又お給料を頂くプロとして私たちは「練習」をしているだろうか? 勤務時間中が試合と考えれば 練習にあたるのは… ビジネス書、自己啓発書などの本を読む、講演会を聞きに行く、自ら機会をつくり異業種の方の話を聞き見識を広げる、ITで情報を入手する(ただし本物50% にせもの50%の認識必要)、親を含む人生の先輩の話を聞く、、、、、、、等々。

練習はしんどいものだと相場は決まっている。本を読むのも苦痛、講演会にでかけるのもめんどくさい、人にとやかく言われるのも嫌だし自慢話など聞きたくもない。しかしいやなもの、しんどいものが練習である。その「苦」の中には「楽」の中にはない「光物のきづき」があるのではないだろうか

しんどい、めんどうくさい、気が進まないなど言い訳の言葉は巷に溢れているが 試合「本番」のための練習と考えてみてはいかがだろうか

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