「普通」の中心にいる意味

(2015年4月号コラムより)

最近は世の中の変化のスピードが速く驚いてしまうことがしばしばある。先日、東京ビッグサイトで開催されたスマートエネルギーWeek2015展示会へ行ってきた。太陽電池展、電力自由化EXPO、スマートグリッドEXPO、二次電池展、エコハウス・エコビルディングEXPO、水素・燃料電池展などの合同イベントである。出展社数は1580社で、そのうち現在我々と取引のある企業は数えるほどである。LED照明の普及当初、200社超の企業参入で驚いたものであったが、エネルギー関連の商売でチャンスをつかもうとしている企業のパワーはそれどころではない。まるで砂糖にアリが群がるようにこの商売にシフトしてきている。我々が深く関連してきた「電気」はこのエネルギーの中心である。それゆえこれからも我々が中心で、、、そんな安易で楽観的な気持も ぶっ飛んでしまった。もう1580社のめざす商売が普通(スタンダード)で 我々はすでに普通の中心からはずれはじめてているのでは?

辞書で「普通」をしらべると「ごくありふれたものであること。あたりまえであること。」とある。日本人は特に「普通」が好きな人種で「人並み」であることに気を使う。環境とともに日々変化するこの「普通」の中心に居続けるのがいわゆる「時流にのる」ではないだろうか。従来からの基準、目線で近視的に物事を見ているうちに 変化においてけぼりにされ、とっくに普通の範疇からはずれてしまっているのではないか そんな警告を受けた気がした

一番大切なお客様と「不通」にならないうちに 現在の立ち位置を再度客観的に見直す必要性を痛感した次第である。

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