(2018年8月号コラムより)
コンピュータの世界はゼロ(0)とイチ(1)の配列で構成されている。そのせいというのはこじ付けかもしれないが、最近は白か黒かどちらかにしないと気が済まないという風潮である。
政治の世界(今や大衆芸能化ナイズされている?)や芸能、マスコミの世界でもウソや浮気、ハラスメントなど自分たちの都合のいいように、一部分を切り取った情報で白だ黒だと騒いでいる。これでは、透明度が上り真実に近くなったとは言い切れない。
一方、スポーツの世界でも ワールドカップのサッカーで導入されたVAR判定(ビデオ・アシスタント・レフリー)(すでにテニス、バレー、野球のチャレンジでもお馴染みだが)審判が試合の流れを止めて機械判定。これではいずれ審判も必要なくなる。
かつて、江夏のような名投手が打者だけでなく、審判とも駆け引きをしたというような味わいもなくなる。グレー部分の妙味もあるし、だいたい白黒の判断基準は本来個人差があってしかるべきもの。だからかえって面白い。又必要悪もあるし、ウソも方便というようなコトバもある。
私は関西の出身であるが、「まあそのへんにしとき! 次行こ!」でないと大事な事までたどり着かない。
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