- 名前を覚えることは=その人に興味を持つこと
表象系システム 右脳=感覚、ひらめき 相手が右上(右脳側)(向かって左上)を見るときはアリバイをつくっている(構成、創造) 相手が左上(向かって右上(左脳側)(向かって右上)を見るときはアリバイを思い出している。 - 2種類の質問 ①問題誘導型=誰が悪いのかをフォーカスする ②解決誘導型=どうすれば成功するかにフォーカスする。(例)そのことが出来たら何が手に入るか?それはどんな意味(価値)があるか?どんなことに役立つか?
- 質問 ①WHYは禁じ手。相手を責める ②HOWを質問すれば、本人の頭の中で自動的に課題を考える。あえてWHYを問う必要はない
- 「がんばります」という人…ウラ側には「自分が出来ていない」、がんばらないと認めてもらえないと思っている。自分の評価を他人に求めている。他人に主導権を握られやすい人。
- プレゼン手法 感動の話を説明するのではない、プレゼンター自身の感動を表現する。喜怒哀楽。口調、手ぶり、身振り、楽しい、悲しい、疲れた、驚き、さみしい、きんちょう、恥ずかしい、ワクワク、元気、おそれ等の表現を
寝るのが仕事
寝るのが仕事… いいなあ
仕事に値段をつけると楽になる
私は、毎朝その日の予定を手帳にかいて、タイムスケジュールや優先順位をきめて頭の整理をする。すると、自分しか出来ない大事な仕事、他へお願い出来る仕事(何も自分でやらなくてもいい仕事)、やっつけ仕事(経費処理等)、メールだけで片付けられる仕事など整理ができ あとは処理が済んだらマーカーペンで消して、頭から離す(またいつか 私の仕事術については あらためて別に記事を書きます) そんな中で 何日かに1度 気の重い仕事が出てくる。会合の段取り進行(うまく行って当たり前の仕事)、初めての仕事(要領がわからない、自信がない、不安)、交渉事(相手がいやがることをお願いせねばならない等)など…
そのような時 私はその仕事に給与から配分して「値段をつける」。いわば その仕事が終われば〇万円現金が手に入ると仮想するのである 例えば…
- 当方主催(私が責任者)の会合(総会、理事会など)が無事終われば10万円
- クレームに対して電話せねばならぬ仕事なら その電話1本で2万円
- 苦手な得意先と折衝なら 折衝が終われば3万円
- 苦手な上司に失敗の報告をせなばならないなら その報告で2万円 など
毎日8時間目一杯つらい仕事をやっているわけではないから、その行為に多めの金額をあてることができる。月1回だけ辛い仕事で月給が30万円なら、そのつらい仕事に15万円くらいあててもいい。
このようにしていると、気が進まない相手への鬱陶しい内容の電話でも、たった1本この電話さえすれば2万円手に入り美味しいものが食べられると思えば、行動を起こしやすくなる。
以上、何事も行動を起こさねば 次へ進まないので一歩前へすすむための自己マインドコントロール方法である。そして行動さえすれば、時間は勝手に進んでいくし、大抵は思い悩むほどのことはなく解決し 過ぎ去っていくのである。
ぶり大根
材料2人分 ぶり2切(300g) 大根10cm(400g)
(煮汁) 酒、みりん、しょうゆ各大さじ2 砂糖小さじ1
- 大根を1cm厚さの半月切りにし、鍋に入れ、かぶるくらいの水を入れ、串が通るまで10分位ゆでて、ざるにあける
- 煮汁を煮立て、2~3等分に切ったぶりを入れ、5分煮立てて、ぶりだけ出す
- 煮汁の残った鍋に大根、湯300mlを加えて10分煮る。ぶりを入れて、ふたをして3分おいて出来上がり。
ハワイ家族旅行
2016年2月子供たちが学生のうちにと、思いきって一家4人でハワイへ家族旅行。私は24歳頃友人と行って以来2度目だが、あらためてハワイのリピーターが多い理由がわかった。物価は高いが、お土産、食事、景色など洗練されており、しばし日常から脱却するには理想的だ。完璧な「おのぼりさん」になってしまった😄 死ぬまであと3回は行きたい
NLPその他①
NLPの研修でその他学んだことを順不同に!
- 変わりたいのならば、思うだけではダメ。その環境に自らを放り込み、その行動を真似してみる。
- TOTE(トートモデル) テスト→オペレート→テスト→EXIT(出口) 失敗はない、あるのはフィードバックだけ。
- フィルター(個性) 人それぞれ異なったフィルター(相手の言うことを削除したり、歪曲してとらえたり、一般化してとらえたりするもの)を持っている(例えば、こちらは朝の8時のつもりで8時といっても、相手は夜の8時と捉えることもある) ①まず自分のフィルターと相手のフィルターは違うという認識を持つこと②無意識のフィルター(信念、思い込み)をそれぞれが持っているという認識③相手は聞きたいことだけ聞くフィルターを持っている④相手のフィルターを通して話すこと。
- 人を支援するための条件→自分が整っていること
- モデリング なりたいと思う人の一挙手一投足を完全にまねる
- ラポール (相互信頼関係)→NLPの基本 ミラーリング=まったく同じ動作をする(相手が腕を組むと自分も組む) おうむ返し=「私はダメな人間だ」「ご自身はダメな人間だと思っているんですね」 ラポール(信頼関係)が出来るとリードができる。(命令は抵抗を生む)
桜
国会では昨年から「桜を見る会」の話がズーっと続いているが、もうすぐ桜の季節になる。この話題も桜が散る頃に自然消滅か? それとも「コロナ菌」が桜を抹消するか? いずれにしても桜が芽生える前に決着をつけてほしいものだ。
はじめの第一歩
会社に入り独身寮に住んでいた20歳過ぎの頃、色紙などに書いて自分を鼓舞していたのを思い出す。「はじめの第一歩」「行動する勇気」
何事も想いを巡らすまでは行くが、行動を起こさねば、自分にとってそれが良かったのか、悪かったのかの結果がでない。だから次へ進むことも辞めることも出来ない。辞める(勇気ある撤退)というのは、行動を起こしたからこそ出来る立派な行為である。
又 自分を成長させる第一歩であるコミュニケーションにしても、初めて出会う人にはなかなか声をかけにくい。慣れ親しんだ友人と会うのもいいが、初めて出会う人は可能性に満ち溢れている。話題も自分の経験の無い話がたくさん聞ける。知らない世界の話は面白いし成長につながる。
「初めてですか?」「どちらからですか?」「こんにちは」こんなささいな言葉をかけるだけでスタートがきれる。一歩踏み出せれば、二歩目、三歩目は比較的容易い。しかし一歩目は限りなくズッシリと重い、別に話しかけなくてもいいのだから。話しかけられるのを待っていてもダメ、こちらから!である。
60歳を越える現在でも、まだまだ一歩目は鉛のように重い。しかし成長を止めたくなければ、自分のお尻をたたいてでも一歩を踏む出すべきだ。
好奇心は心の若さの秘訣。一歩踏み出す勇気で世界が広がる。出会いは成長の種。Keep on going
永遠に残してほしい言葉
(2018年11月号コラムより)
先月号で広辞苑からはずしてもらいたい2つーのコトバに言及したが、今月号については逆にいつまでも永遠に残してほしいコトバを2つ。
ひとつめは「根性」。昭和生まれの私たちは子供のころから「根性」「根性」で育てられた。テレビでも「巨人の星」や「アタックナンバーワン」などのスポーツ漫画は「根性」一本鎗で、自動的に洗脳されたものだ。それらを今あらためてみるとパワハラ満載であるが、当時はいたって普通であった。100本ノックや1000本ノック、又日常で弱音をはきたくなることなど、すべて「根性」という魔法の言葉で乗り越えた。「根性なし」とは言われたくないために。現在は時代錯誤なのだろうか、耳にすることがほとんどない。
ふたつめは「一生懸命」。広島カープの新井選手の代名詞のようなコトバ。40歳を超えても全力疾走、全力プレーを怠らず(それが時として愛すべき滑稽な場面をしばしばつくる)チーム内でも兄貴のように慕われ、ファンの間では、抜群の人気選手である。実力の不足を一生懸命でおおいつくした名選手だと思うし、イチローや大谷選手にはなれそうもないが、もしかしたら新井選手くらいにはなれるかもと子供たちに思わせる所が嬉しい。この言葉も魔法のことばだと思うが、さらっと出来てしまう君に対して、汗をかきかき、泥だらけになり、それでも出来ない君の方に軍配が上がる時代は過去のものになってしまうのだろうか?
無くなってほしい言葉
(2018年10月号コラムより)
今年1月に「広辞苑」が10年ぶりの改訂をし、新たに1万語が追加された。時代の変化と共に言葉も変わってくるのであるが、一方では、早く無くなってほしいコトバもある。
ひとつは「ちくる」。言いつける、密告する、他人の悪事を陰で通報する事という意味で、語源は「ちくん」「ちくちく」などの擬態語から生まれた動詞である。最近のテレビの話題はほとんどこの「チクる」からスタートし、民間企業、官庁、政界、スポーツ界、芸能界など話題にことかかない。密告だから言われたほうは否定材料を整えて対抗するので勝負がなかなかつかず、マスコミの格好のネタ(低レベルの)になる。昔なら「文句があるなら本人に面と向かって言え!」である。インドネシアでのバスケット日本代表選手の件も、発見した人には「チクる」のではなく、その場で注意して止めてほしかった。
もうひとつは「へりくつ」。屁理屈とは議論を免れた、的を外した論理で、語源は「屁のようにたよりない理屈」である。皆様ご存じの「朝ごはん論法」のように「朝ごはん食べたか?」「ご飯は食べてません(パンは食べたけど)」が代表作である。昔なら「聞かれたことにキチンと答えろ!」で一蹴された。
いずれも未来ある子供たちの前で、大の大人がまじめにこれらを使用しているのは、滑稽でもあるが、大変不愉快である。