(2018年5月号コラムより)
最近はテレビの国会ショーでの与党、野党の発言や、ニュースキャスターの発言が、どうも背景にやらせ感、やらされ感の匂いがして、すっきりしない。真実はどう考えてもひとつであり、様々な方向から見た見解を述べているのであるが、発言している本人自身「本気」でそう考えているのか疑わしい。
そこで「本気」について考えてみた。ビジネスでは事業に携わる人の「本気度」が高くないと、いくらノウハウや知識、行動力があろうと目標の絶対達成は難しい。「自分なりに本気だ」と主張されれば、他者が客観的に本気度を測定するのはいささか難しい。
その人が本気かどうかは「自己投資にかけたコストの量」によって推し量ることが出来る。ひとつは、慣れ親しんだ習慣を変えるための面倒さ、億劫さを乗り越えるための労力、ストレスの総量である「精神的コスト」。次に、その物事を考える時間や背景などを調べるため必要となる「時間的コスト」である。
汗をかいた本気の姿が揶揄される時代でない事を祈るが、IT化によりマニュアル化された今の時代には、朴訥な一生懸命さが光る。
又「本気でやれば楽しくなる」「本気でやれば道が開ける」「本気でやれば必ず誰かが助けてくれる」の格言もある。
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