永遠に残してほしい言葉

(2018年11月号コラムより)

先月号で広辞苑からはずしてもらいたい2つーのコトバに言及したが、今月号については逆にいつまでも永遠に残してほしいコトバを2つ。

ひとつめは「根性」。昭和生まれの私たちは子供のころから「根性」「根性」で育てられた。テレビでも「巨人の星」や「アタックナンバーワン」などのスポーツ漫画は「根性」一本鎗で、自動的に洗脳されたものだ。それらを今あらためてみるとパワハラ満載であるが、当時はいたって普通であった。100本ノックや1000本ノック、又日常で弱音をはきたくなることなど、すべて「根性」という魔法の言葉で乗り越えた。「根性なし」とは言われたくないために。現在は時代錯誤なのだろうか、耳にすることがほとんどない。

ふたつめは「一生懸命」。広島カープの新井選手の代名詞のようなコトバ。40歳を超えても全力疾走、全力プレーを怠らず(それが時として愛すべき滑稽な場面をしばしばつくる)チーム内でも兄貴のように慕われ、ファンの間では、抜群の人気選手である。実力の不足を一生懸命でおおいつくした名選手だと思うし、イチローや大谷選手にはなれそうもないが、もしかしたら新井選手くらいにはなれるかもと子供たちに思わせる所が嬉しい。この言葉も魔法のことばだと思うが、さらっと出来てしまう君に対して、汗をかきかき、泥だらけになり、それでも出来ない君の方に軍配が上がる時代は過去のものになってしまうのだろうか?

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