妻、娘の大好きなディズニーランドを書いてみました。
じゃがいもとベーコンのバター炒め
(材料2人分) じゃがいも2個 ベーコン 玉ねぎ1/2個 バター大さじ1
- じゃがいもはくし切り 玉ねぎは薄切り
- フライパンにサラダ油大さじ1/2熱して材料を入れ バター、塩、コショウで味付け
俯瞰力(ふかんりょく)
(2017年1月号コラムより)
本年の十二支は酉(とり)である。ご存じのように、運気もお客様も取り込め商売繁盛に繋がる、いわゆる機が熟したタイミングである重要な年だという。そして、鳥から想像する言葉として「鳥の目、俯瞰の目」が思いつく。私どもの業界を俯瞰の目でみると、取り巻く環境は大きく変わってきている。
一方、今や企業の宝物である人材に目を向けてみると、入社3年目までの離職率は建設業で39%であり産業全体でも36%(平成25年3月卒実績)というデータにびっくりする。
その大切な人材を育てるにも2種類の俯瞰力が必要だという。
1つは「時の俯瞰力」である。その人にも歴史があり、その人の今は過去の積み重ねの上になりたっている。「今」から少し目を離して、過去と未来にも視線を向けてみることで、その人をうまく育てていくヒントが見えてくるかもしれない。
2つめは「場の俯瞰力」である。時の俯瞰力がその人の歴史を感じる力だとすると、「場の俯瞰力」は、その人が今いる環境を視野を広げて想像してみる。ドローンのように上方から眺めてみると、また違ったものが見えてくる。
業界の商流が変化し、モノの販売からコトの販売へ、消費者の選ぶ購入ルートが最強で正しい。そんな時である。カッと目を見開いて新年からスタートダッシュだ。
本気
(2018年5月号コラムより)
最近はテレビの国会ショーでの与党、野党の発言や、ニュースキャスターの発言が、どうも背景にやらせ感、やらされ感の匂いがして、すっきりしない。真実はどう考えてもひとつであり、様々な方向から見た見解を述べているのであるが、発言している本人自身「本気」でそう考えているのか疑わしい。
そこで「本気」について考えてみた。ビジネスでは事業に携わる人の「本気度」が高くないと、いくらノウハウや知識、行動力があろうと目標の絶対達成は難しい。「自分なりに本気だ」と主張されれば、他者が客観的に本気度を測定するのはいささか難しい。
その人が本気かどうかは「自己投資にかけたコストの量」によって推し量ることが出来る。ひとつは、慣れ親しんだ習慣を変えるための面倒さ、億劫さを乗り越えるための労力、ストレスの総量である「精神的コスト」。次に、その物事を考える時間や背景などを調べるため必要となる「時間的コスト」である。
汗をかいた本気の姿が揶揄される時代でない事を祈るが、IT化によりマニュアル化された今の時代には、朴訥な一生懸命さが光る。
又「本気でやれば楽しくなる」「本気でやれば道が開ける」「本気でやれば必ず誰かが助けてくれる」の格言もある。
ウソ
(2016年8月号コラムより)
最近、政治家でも芸能人でも「ウソ」が多い。「ウソ」にも色々レベルがあり、政治家の誰が見てもわかる明らかな「ウソ」には閉口、怒りすら覚えるが、「ウソ」も方便というたとえもある。テレビドラマにあったのだが、某国での「ウソ」の考え方が興味深い。
某国では、「ウソ」をつくことが悪いこととは教えられていない。某国の徳目の一つに「避諱(ひき)に行きつく」というのがある。これは隠すとか避けるとかいう意味であるが、国家や家族のために不利なことは事実を曲げてでも隠さねばならない、それが正しいという考え方である。身内の対面を汚すことはあってはならない。正直であるということは、この考え方の前では重要でなくなるわけである。国家にとって都合が悪いこと、不名誉なことは一切明らかにしてはならないという「倫理観」である。
こうしてみると最近の企業における「倫理観のぶれ」が散見されるなか、グローバルに考えると千差万別なんだと思い知らされる。
我々は、幼少の頃から「ウソをつくと雷さんにおへそをとられる」や「お天道様はすべてお見通し」など「正直者がバカを見ることはあってはならない」と教えられてきた。名探偵コナンのセリフではないが、「真実はひとつ」であってほしいし、その真実がねじ曲げられたり、隠ぺいされたりするのは心穏やかではない。真実(失敗=経験)を享受して、その反省をもとに次の成長に向かい徳を積むという倫理観を持ち続けたい。性善説はもはや死語なのだろうか。
ポテトサラダ
(材料)2人分 じゃがいも2個 きゅうり1本 玉ねぎ1/4個 ハム4枚
- じゃがいもを洗ってラップに包み、レンジ500wで6分加熱
- 熱いうちに皮をむいてボウルに入れ、押しつぶす
- きゅうりは輪切り、玉ねぎは薄切り、ハムは短冊切りにしてボウルにいれ、マヨネーズ、塩、コショウを加え完成
言霊(ことだま)
(2019年10月号コラムより)
私は東京に単身赴任ということもあり、比較的自由な時間が持て自分自身への投資に充てることが出来る。そのようなこともあり、すっかり朝の散歩がルーティンワークに入ってしまった。すでに5年は続けているだろうか。6時に起床し、部屋でラジオ体操をした後散歩へ。スタートは近所のお地蔵さんへのお参りから始まり、隅田川沿いをストレッチ含め約30分散歩し、朝の新鮮な空気を満喫した後、稲荷神社への参拝で終わる。お参りをサボると何か悪いことが起こりそうで、気の弱い私は雨の日でも傘をさしてお参りだけは行くようになっている。
その稲荷神社の手水舍(手を清める場所)で毎日、目にするのは「反省~威張る時には神に捨てられ、欲張る時には金に背かれ、妬む時には友を持ち得ず、怒る時には己を失うのだ」という言葉だ。神様の場所にかかれている言葉はどこか厳かで、書物やテレビ、SNSで見るものより重く感じる。
コトバは言霊(ことだま)とも言われ、その使い方ひとつで親友をなくしたり、誤解を招いたりする怖いものでもあるが、反面「ひとつの言葉」で局面が変わったり、救われたりする諸刃の剣のようなものである。政治家や有名人が失敗するのも普段思っていたことがついコトバに出てしまったり…まさに「語るに落ちる」である。
「明元素」「暗病反」言葉というものがあるが、私は出来るだけ「ありがとう、やってみよう、楽しい、うれしい、おもしろい、おいしい、ついてる…」などの「明元素」言葉を使い、自分の持つパワーが減らないようにしている。よく他人に「楽観的」と誤解される事もままあるが、「つたないレベルでも、やれることは、さぼらずにしっかりと準備し、知恵の少なさを補うため衆知を集め、自分で決断して前に進む」あとは、運を天にまかせ、ひたすら神頼みである。だから毎日の散歩が欠かせない。なあ私なりに日々必死で生きている(つもりである)
まいたけとひき肉の中華炒め
(材料4人分) まいたけ1パック、ピーマン4個、にんにく1かけ、赤とうがらし1本、サラダ油大さじ1、牛豚挽き肉200g、(A:オイスターソース大さじ2、鳥がらスープの素小さじ1/2) (片栗粉小さじ1、水大さじ1)
- フライパンにサラダ油とにんにく、赤とうがらしを入れ、香りが出たら、挽き肉と塩を入れてよく炒める
- まいたけとピーマンを加えて炒め、Aで調味する。水溶き片栗粉でとろみをつける。
ごはんが、進みます😋
ニュージーランド旅行
2017年1月 妻と二人で旅行 クイーンズタウン~マウントクック~テカポ~クライストチャーチ~オークランド 人間の数よりひつじの数が多い国。広々として心が休まる国でした。世界で一番よく南十字星がみえる町テカポなどは、死ぬまでの余生をここでゆっくりと過ごしたいくらいでした。
人材育成~逞しいヒト
- 【緊張感 自立 自律 自責】
- 当事者意識~自分は何ができるのか
- こちらからは1:50 相手からは1:1
- 営業マンは会社の代表 (最低限マナー)
- 担当者マター 課長マター 所長マター
- 心の掃除 机の掃除 トイレの掃除
- 臆病なヒトは 自分の何を怖がっているのか
- 営業は人として学ぶことが多い。→ヒトとして成長
- 【報告】
- 5W1Hで3分以内
- 報告のない企業は廃れる
- 常に相手との状態をイーブンパーへ ボールを持つな
- スピードが何より大切 なしのつぶては論外
- 督促される=相手の期待値とずれている=自責
- 報告すべきか否か迷うものは報告しておく
- 損得ではなく「ウソ・誠」「善・悪」で考えよ
- 【決断】
- 決断しないのが一番悪い
- 苦しいほうを選択すれば それだけ得るものは多い
- 判断ミス=経験 衆知を集める
- 長期スパンの判断か? 社会上で正しいか? ルールはないか? 役に立つか?
- 誰が正しいかではなく 何が正しいか
- 【説得力 交渉力】
- 言葉より「気」の問題 その人全体でぶつかる
- 交渉事は何でも2回
- 共通意識を持たせる 利害を合わせる
- 「NO」という理由をつぶす
- 「ゼロサム」ではなく「WIN WIN」へ
- 【あいさつ】
- ゆっくり話す 間をあける 姿勢よく
- 話の中に具体名(〇〇社長、個人名)または数字を入れる
- つかみ=「会話文」を入れる 「例」を入れる